個人消費が不振に陥れば、息の長い経済成長は実現できない

 また、7月に日本銀行が利上げをする前、対ドルで160円まで円安になった。適正な為替レートは誰にも分からないが、「さすがに円安が行き過ぎている」と、専門家も、市井で暮らす私たちも、多くがそう感じた。

 そして、金融市場で、「為替レートと金利とは関係ない」と言う人はいない。金融政策は為替レートをみては動かないという公式見解は揺るがないものの、多くの人が「円安は行き過ぎだ」と感じるのであれば、是正するのは金利の動き以外にない。

 特に為替レートは、誤った水準が一定期間続くと、その水準に居座ってしまうという現象「ミスアライメント」が、歴史的にも起こっている。

 行き過ぎた円安は、長期的にみて日本経済にとって良いことではない。円安は、企業部門の一部には恩恵をもたらすかもしれないが、家計部門にとっては、輸入品の価格上昇などを通じてマイナスになる。貿易収支の黒字構造が消えてしまった日本ではなおさらだ。そのような状態では、持続する安定的な経済成長は望めない。

消費者物価指数は2%超で推移している(グラフ画像:共同通信社)

 もちろん、円安の恩恵を受けた企業が賃上げで家計に還元したり、設備投資を積極化させて経済を活性させる動きが続いたりすれば話は違う。とはいえ、インフレに負けない水準の賃金上昇が続くのか、設備投資はどこまで盛り上がるのか、現時点ではなお不確実だ。

 企業と家計の間の良いバランスが崩れ、家計に対するしわ寄せが行き過ぎれば、個人消費は不振に陥る。それでは息の長い経済成長は実現できない。

 そういうわけで、「さすがに円安は行き過ぎだ」ということになり、であれば「さすがにゼロ金利ではない」という判断になったのが、今なのではないか。

 もっとも、日本銀行がどう説明するかはまた別問題だ。「さすがに政策金利が低過ぎるので利上げした」と直截には言えない。だからと言って、それを受け止める側も、株安とか、先行きのインフレの不確実性とかを持ち出して、おかしいとまで言うのは、何とも腑に落ちない。

 どうして私たちの思考回路は、「さすがに」という常識論が後ろの方にいってしまうほど硬直的になってしまったのだろうか。