次に弟と開発したのがテレグラムだ。検閲を拒否し、利用者の秘密を守るテレグラムは世界中の民主化運動のプラットフォームとなった。ロシア当局は18年、データ共有を求めたが、拒否されたため、閉鎖しようとした。しかし技術的に困難を極め、有権者の反発に遭って断念した。

プーチンとの関係は微妙

 ドゥロフ容疑者はドバイに定住し、21年にフランス国籍を取得。プーチンとの関係は微妙で、しばしばクレムリンの棘のように見られている。巨大プラットフォームの力とドゥロフ容疑者の知名度から独裁者プーチンもドゥロフ容疑者を慎重に扱ってきた。

 テレグラムを徹底的に取り締まれば有権者の反発が強まり、権威主義に対する抵抗の世界的シンボルとしてドゥロフ容疑者にさらなるパワーを与えてしまう。両者の緊張関係にもかかわらず、その間には暗黙の了解や宥和が存在しているように見える。

 ウクライナ戦争でテレグラムはロシアの超国家主義的な軍事ブロガーにとって、プーチンとその側近たちの無能ぶりを批判できる比較的自由な言論プラットフォームになってきた。仏当局の逮捕によりロシア国内でテレグラムが使えなくなると軍事ブロガーは自由に発信できなくなる。

 14年のウクライナ東部のドンバス紛争で親露派分離主義武装勢力を指揮した悪名高きロシア民族主義者イゴーリ・ギルキン被告は22年11月、乗客乗員298人全員が死亡したマレーシア航空MH17撃墜事件についてオランダの裁判所で無期懲役を言い渡された。