ナチス高官「アイヒマン」に酷似の斎藤知事
斎藤知事の「壊れたスピーカー」で、私がもう一つ気になる点があります。それは以下のような記者とのやりとりで、露骨に繰り返される「決まり文句」です。
記者:最新号の週刊文春に、知事に近い人たち、牛タン倶楽部と呼ばれている人たちが、亡くなった元西播磨県民局長のプライバシーに関する情報を持ち歩いて、県議らに見せて回っていたという報道内容ですが、これは事実なのでしょうか。ご存知でしょうか。
斎藤:私としては、指摘の事項については関与していません。これから百条委員会なり通じて、事実関係が適正に明らかになっていくことを期待しています。
記者:百条委員会ではなく、側近の部下たちが、元西播磨県民局長の弱みを握って、内部告発を潰そうというような妨害工作をしていた疑いが週刊誌に報道されたことで、県として、知事として調査するべきだとお考えにならないのでしょうか。
斎藤:繰り返しになりますが、私としてはそのようなご指摘の事項については、関与していません。
自分は関係ない、知ったことではないと、県民過半数の信託を受けて就任しているはずの自治体の首長が繰り返している。
「ぼく知らないもんね~」という、恐ろしく幼稚で責任の意識、首長の自覚がない発言です。
ここで私が強く想起するのが、ナチスドイツ政府でユダヤ人の絶滅政策に責任を持ち、戦後16年を経て逮捕されたアドルフ・アイヒマンの、エルサレムでの裁判時の発言です。
検事:あなたはユダヤ人のホロコースト、殺人に直接携わりましたか?
アイヒマン:もちろん違います。私はホロコーストには携わっていなかったと申し上げねばなりません。もしホロコーストを命じられていたら、きっと自殺していたと思います(中略)。
検事:ホロコーストを実行した人たちは、あなたからみれば犯罪者ですか?
アイヒマン:不運で不幸な人たちです。
検事:彼らを犯罪者と見なしていないのですか? イエスかノーで答えてください。
アイヒマン:そのような質問には答えることができません。なぜなら、わたし自身はそのような問題に直面させられたことがないからです。
ユダヤ人絶滅は、ナチスドイツ政府が「公共事業」として行った「政策」で、多くのナチス「公務員」が戦後、重大な責任を個人としても問われたのは、日本でも周知のことと思います。
アウシュヴィッツで、あるいはダッハウで「公務」として上長から命じられることを疑いもせず、「命じられたからやった」「それ以外は知らない」という「最低最悪の公務員」。
アイヒマンのメンタリティは、20世紀後半の知識人に知らない人のいない、最悪の反面教師でした。
それをここまで彷彿させる、現職首長の「絶望的」としか言いようのない斎藤知事の記者会見。
これを「兵庫県は北朝鮮化」といった一過性の揶揄で済ませるのではなく、本格的に学術セクターを含む検討と再発防止、法制度整備などを検討する必要がある。
一国立大学教授職の観点からこう指摘しないわけにはいきません。
周知のように、アイヒマン裁判についてユダヤ人女性哲学者のハンナ・アーレントは、莫大な数の無実のユダヤ人市民を絶滅収容所に効果的に移送したアイヒマンが「組織の論理に従っただけ」で「殺害行為そのものには関係していない」と繰り返す、法廷での答弁を「自分の行為を他者の視点から見る想像力に欠けた凡庸な人間」と断じました。
そして、そんな凡庸な人間が、大きな権力を手にしたとき、仕出かしてしまった犯罪を「悪の陳腐さ」と呼び、命令を実行しただけと弁明するアイヒマンの、人類社会への法を超えた罪として考えないことである、と結論づけています。
いま、斎藤兵庫県知事が繰り返す無意味な答弁は、自分自身がしてしまったことを「考えないこと」の罪と指摘しておく必要があります。
斎藤氏は、言い逃れの詭弁は考えても、自分自身が仕出かしてしまった現前の事実を、ほとんどまともに受け止めず、真摯に向き合うこともなく、つまるところ何も感じず考えていない、あるいは考えないようにしているのでしょう。
だってこの人、自分の子供に問われて、説明のつくことをしていますか?