なぜ、日本でこうならないのか。それは日本の歴史に負うところが大きい。日本の医療界の雛形を作ったのは明治政府だ。近代化を急いだ明治政府は、東京帝国大学を作り、国家、つまり政府にとって有為な人材を育成した。法学部と医学部が中核を担ったのは、欧米の大学と同じだが、その教育の根底に古典的プロフェッショナリズムはなかった。

 この「伝統」は、今でも引き継がれている。東大法学部の卒業生は、市民の個人の権利を守るのではなく、国家公務員になろうとするし、東大医学部の卒業生の多くは、患者を治療するよりも、医学研究で実績をあげ、大学教授となり、学会という業界団体で出世したいと希望する。

 大学教員であれ、勤務医であれ、その身分は組織からの被雇用者、つまりサラリーマンだ。患者の信頼を失っても、収入が減ることはなく、組織内での評価も変わらない。給与は月給制だから、製薬企業や健康食品メーカーからの講演や監修を請け負っても、基本給を減らされることはなく、アルバイトをした分だけ収入は増える。この状況では、本業そっちのけでアルバイトに勤しむ医師が増えるのは当然だ。

 健康食品問題は、国民の信頼を勝ち得るという点で、日本医師会にとってチャンスなのに、積極的に動く気配はない。日本医師会は『JMAジャーナル』という学術誌を発表しているが、健康食品問題には取り組んでこなかった。

 余談だが、製薬企業が販促のために、講演料やコンサルタント料などの名目で医師に支払う製薬マネーも同様だ。医療ガバナンス研究所が取り組んできた日本における製薬マネー問題を、最も掲載してきた媒体は米国医師会誌(『JAMA』)や英国医師会誌(『BMJ(British Medical Journal)』)およびその姉妹誌だ。日本医師会の対応とは対照的だ。

「上医は国を医し…」を曲解した詭弁

 日本の医療界の宿痾は、古典的プロフェッショナルが、国家に隷属し、組織の歯車になっていることだ。厚労省医系技官は、中国の六朝時代の陳延之の著書にある「上医は国を医し、中医は人を医し、下医は病を医す」を頻用する。病を医す医師と、国を医す政治家とは、本来、別の職業人だ。医系技官は、こんなことを言っておかしいと思わない。長いものに巻かれているうちに真っ当な判断力を失っている。

 組織と古典的プロフェッショナルの相剋は、古今東西を問わず、繰り返し社会で議論されてきた。人体実験に従事したナチスの軍医たちが、ニュールンベルグ裁判で死刑判決を受け、処刑されたことなど、その典型だ。このような議論を積み重ね、世界では医師の職業規範が確立した。弁護士も同様だろう。これこそが、欧米社会でサプリメント被害から国民の健康を守る力になっている。

 日本は、このあたりの議論が不十分だ。歴史的な幅広い視野から、職業人自らのあり方を考え直さねばならない。

上昌広
(かみまさひろ) 特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。 1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。

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