「富士山」と「ローソン」が結びついた魔力

 初めて訪れた外国人観光客などが「美しい」と大絶賛する景色でも、普段から見慣れている地元の住人は「そうでもない」と照れながら謙遜するような美徳が、かつてこの国の愛すべき感受性としてあったように思います。これは「世辞愛嬌をまともに受けるな」という奥ゆかしさにも通底する、日本的で繊細なコミュニケーションのあり方そのものでもありました。

 談志は「うちの息子賢いってよく言われるんです」と臆面もなく言ってくる人に「世辞に決まっているだろ!」と喝破していましたっけ。

「富士山ローソン」で記念撮影をする観光客(写真:ロイター/アフロ)

 ところが最近は、インスタなど各種SNSの「発信してなんぼ」というグローバルスタンダードの感受性と、良くも悪くも古式ゆかしく持ち合わせていたきめ細やかな日本の心意気が、至る所で衝突しているように感じます。富士山ローソンにあてはめれば、地元の方たちにとっては自慢するような構図でもないものが、インスタ的「映え」を追い求める観光客によって発見され、騒動になってしまった。

「言葉は文明」とも談志は言っていました。ならばそれによって表象されるべき精神性、もっと言うとその言葉によって表される「もののあはれ」なども文明に属す時代なのかもしれません。いい悪いでの判断ではなく、「きれいなものは謙遜するのではなく、主張すべき」という時代の中で、我々も生きていかなければならないのかもしれません。

 かくして世界のSNSの住人に発見された「富士山ローソン」は、その組み合わせも秀逸でした。「富士山」と「ローソン」という、きわめて対極にある存在が合体したことで生まれた「魔力」がそこにあるような感じがしています。

【写真16枚】「富士山×コンビニ」、ローソンのほかセブン-イレブンやファミリーマートも

 富士山は太古の昔から存在しています。江戸期においては浮世絵の題材になるような日本の「文化」です。対してローソンは資本主義が発達した20世紀に生まれた「文明」です。相反する存在が悪魔合体ならぬ「天使合体」して意外にも「映え」てしまったことで、「ならば一目見てみよう」という心理を掻き立ててしまったのではないでしょうか。インスタ映え界の「砂糖醤油」みたいな味わいでしょうか。