試合で生まれるドラマの数々

 1958年にチャンピオンズリーグの前身、チャンピオンズカップに出場していたイングラントの名門、マンチェスター・ユナイテッド(マンU)は準々決勝に進出し、ユーゴスラビア(当時)の強豪、レッドスター・ベオグラードと対戦します。ホームで勝利したマンUはアウェーのベオグラードで引き分け、準決勝進出を決めました。

 ところが、選手やスタッフを乗せた航空機が帰路、給油のために立ち寄ったドイツのミュンヘン空港で離陸に失敗し、選手8人を含む23人が犠牲になったのです。

 大打撃を受け、悲嘆にくれたマンUはそこから伝説的な立ち直りを見せます。若手が中心となってチームを再建。ミュンヘンの悲劇から10年後の1968年にはチャンピオンズカップの決勝に進出し、ロンドンのウェンブリースタジアムでポルトガルのSLベンフィカを破って優勝したのです。サッカーの母国・イングランドのクラブチームとしては初めての欧州制覇でした。

 同じくイングランドのチーム、リバプールFCが関わった2005年の「イスタンブールの奇跡」もファンの間では有名です。こちらは悲劇ではなく、歴史的な逆転劇によってファンを熱狂させた歓喜の物語です。

 このとき、リバプールFCはトルコのイスタンブールで、イタリアの名門ACミランとの決勝に臨みました。ところが、試合は前半からACミランが圧倒。キックオフ直後に先制すると、得点を重ね、前半で3−0とリード。リバプールは敗色濃厚でした。

 ところが、後半になってリバプールが猛反撃。54分、56分、60分と後半のわずか6分間に3点を挙げ、同点に追いついたのです。試合はPK戦となりましたが、そのPK戦も互いに譲らず、2−2のまま5人目のキッカーを迎えました。

 ACミランのキッカーは、ウクライナ出身でチームのエースストライカーだったシェフチェンコです。ところが、シェフチェンコ選手はゴールを決めることができず、ほぼ手中に収めていたはずの優勝をつかむことができなかったのです。