豊かにならない黒人の暮らし
ヨハネスブルクの郊外の黒人居住区ソウェトを歩いた。丘陵の上から眺めたソウェトの町は想像していたよりも穏やかで広かった。平屋が整然と並ぶ地区もあればバラック小屋のような住居が所狭しとひしめいている地区もある。
ソウェトの名前が世界中に広まったのは、1976年にここで起きた学生デモと警察の衝突事件からだ。
そのソウェト蜂起では警察の発砲によって少年を含む大勢の若者が命を落とした。その数は176人と発表されている。
国際社会からの南アフリカ批判は凄まじかった。さらに南アフリカの白人たちの中からも政府に批判的な声が上がった。これがアパルトヘイト廃止へと動き出すきっかけとなった。
洗濯物の干された路地を進んでいると一軒の家から子供が出て来た。次いで窓から顔を出した父親に「写真を撮ってもいいですか?」と訊くと、「こんなボロ屋でよかったら」と3人の子供と一緒に家の前に立ってくれた。失業中だと言う。目下は母親が家政婦をして一家を支えていた。
「もう少し暮らしが楽になればと思うが、なかなか仕事がなくて」と彼は穏やかに苦笑した。
