国土の一割ほどの僻地に押し込められた黒人たち
南アフリカにヨーロッパ人が入植を始めたのは17世紀の後半のことだ。最初にオランダ人、フランス人、その後にイギリス人もやって来る。つまりは白人といわれる人々だ。
そして、彼らはそれぞれに勢力を広げていく。長い間、いくつかの勢力に分かれて争いの時代が続くが、20世紀の初頭に白人の国である南アフリカ連邦が成立する。白人たちは黒人を犠牲にすることで互いに利益を得ようと合意したのだ。
いつの間にか黒人たちは先祖からの土地を追われ、決定権も与えられない低賃金労働者としての存在になった。これは植民地政策時代にはどこでも行われたことだが、南アフリカの場合は白人至上主義の面々が政権を握ったことにより、黒人への差別がエスカレートしていく。
1948年に政権を握った国民党は新たな人種差別政策を次々と打ち出していった。黒人は全土の一割程度の僻地に押し込められ、白人地区に入る黒人には身分証の携帯が求められた。レストランはもとよりあらゆる施設は白人とそれ以外に分けられた。
もちろん白人以外に選挙権はなく、教育の機会均等などは望むべくもなかった。今の時代では考えられないような基本的人権の無視が当時はまかり通っていたのだ。
このアパルトヘイト政策に立ち向かったのがアフリカ民族会議(ANC)などの黒人団体だった。