上司と部下が「同じ土俵」に立つ
前編で述べたように、現代の部下マネジメントが困難になってきている理由の一つに、職場のダイバーシティが進んできたことがあります。職場メンバーが多様になるほど、コミュニケーションのベースとなる共通前提は失われていきます。
以前だったら通じた話が通じない、かつてみなが持っていた常識・知識が失われている……。もともと違う個性を持つ部下と上司が、さらに「互いに考えていることがわからない」という断絶的な状況になりやすい時代です。
例えば、研修で企業側が管理職に「部下へのフィードバックが大事だ」といくら言っても、フィードバックをまったく受ける気の無いメンバーが放置されていては、問題は解決しません。管理職が「自分のフィードバックの仕方が悪いのだ」と自身を責めるだけでしょう。
スムーズな意思疎通に大事なことは、両者を「同じ土俵に立たせる」ことです。物事について「何が大切なのか」「会社はどう考えているのか」といった、認識のベースとなる意識・知識・情報を与えることです。キャッチボールで両プレイヤーのスキルや呼吸、テンポを「揃える」ことが必要なように、管理職が部下と目線や情報を合わせるには、「両者」へのトレーニングが必要です。
「リーダーシップ偏重」は先進国の多くでも見られ、リーダーシップ研究においてしばしば批判され、その代案として、リーダーについていく側の行動、つまり「フォロワーシップ」への研究がなされてきました。「フォロワーシップ・アプローチ」とはつまり、「脱・リーダーシップ偏重」なのです(図表6)。
リーダーシップを学ばせることと、リーダーシップが「発揮されること」は同じではありません。経営学者のヘンリー・ミンツバーグも、「リーダーシップにこだわればこだわるほど、好ましいリーダーシップの実例が減っていくように見える」と述べています。「管理職」をリーダーとして捉え、リーダーこそが課題を解決するべきと強調し、「やるべきこと」をアドオン(追加・拡張)すればするほど、結果として管理職はリーダーとしての役割が果たせなくなる。
研修や新しい組織課題に追われ、プレッシャーは高まりつつも、現実は降りかかる業務をなんとかするだけで手いっぱいである現在の管理職の問題を射貫いた、見事な慧眼です。>>【罰ゲーム化する管理職・前編】「少数で成果はすぐ出せ、パワハラは厳禁!」職場は地雷だらけでメンタル疾患急増