能力の高さから、女性も歴史に名を残せた時代

 奈良時代の歴史書には、女官として活躍した女性の本名が残されている。出身地や血筋、仕事ぶりを確認できる女性もいる。なかには、凡庸な夫の出世を後押ししたといわれる女官もいるほどだ。

 ところが、徐々にこうした女官の存在に変化が現れた。女官は貴族出身の女性たちが出仕する形だったが、出仕しない貴族女性が増え始める。また、男官のなかに蔵人という職務が現れ、これまで女官が担っていた役割が移行していく。

徐々に変化していく仕組みと立場

 こうして、歴史に名を残すような女官が現れなくなっていった。加えて出仕できる女性の資格が改められ、30歳以上、40歳以下の独身女性に限られるようになった。これは、大きな権力をもった藤原薬子のような女官の登場を防ぐ目的があったと考えられている。

 以前は、女官のなかから天皇の寵愛を受ける女性もいた。しかし出仕できる女性の条件が改められたことで、天皇の周囲にいる女性の平均年齢が上がれば、そうした女性も減る。同時に、若く優秀な貴族女性が活躍できる場も限られてしまった。

 こうして、天皇の后候補として育てられた貴族の娘の周りに集められるようになったのが、紫式部のような優秀な女性たちである。