現代につながる歴史の担い手

 このように平安時代は、優秀な女性が活躍できる場所がどんどん狭くなっていった。一方で、後宮の女性たちがあってこそ発展した文化もある。

平安後期の文化、いわゆる「国風文化」には、女性の役割が欠かせないといわれるが、単にそれだけではない。紀貫之たちが始めた「日本語で考えること」は、清少納言・紫式部・赤染衛門たち後宮サロンの人々によって独り立ちすることができた。
それはまさに「平安時代」四〇〇年の歴史の折り返し点「平安前期二〇〇年」のことだったのである。

 平安時代の女性は、名前は残らずとも、大切な時代の担い手だったのだ。