宇治橋(京都・宇治市)にある紫式部の石像(写真:cowardlion/shutterstock.com) 

今年のNHK大河ドラマの主人公、紫式部のほか、清少納言、安倍晴明のように、マンガや小説でも取り上げられる平安時代の人物は少なくない。ただ多くは平安時代後半である。では平安時代前半にはどのような人物がいたのか? ぱっと答えるのは難しいかもしれない。今回紹介する『謎の平安前期——桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年』(榎村寛之著、中公新書)は、奈良時代の終わりから平安時代前半にかけての日本がどのような国だったかを解説しており、女性の地位の変化についても詳しく触れている。

(東野 望:フリーライター)

実は本名すら分かっていない紫式部

 2024年1月スタートのNHK大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部を中心とした平安時代の物語だ。華やかな十二単に身を包んだ俳優たちの姿に、当時の紫式部も時代の中心として注目を集めていたと思う方も少なくないだろう。

 しかし、紫式部が生きた平安時代後半は女性の存在が希薄な時代であった。紫式部ですら、実は本名がはっきりとわかっていない。紫式部とは通称のようなもので名前ではないのだ。また、紫式部が広く評価されるようになったのは彼女の死後である。

 そんな平安時代、特に『源氏物語』が生まれるまでの約200年間の平安前期にスポットを当てたのが本書だ。著者は三重県立斎宮歴史博物館学芸員の榎村寛之氏。ほかに『斎宮―伊勢斎王たちの生きた古代史』(中公新書)などの著書がある。

謎の平安前期——桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年』(榎村寛之著、中公新書)

 榎村氏は紫式部や清少納言が活躍した平安時代についてこう解説する。

十世紀後半、紫式部や清少納言が活躍した時代は宮廷女性の華やかなりし時代と認識されることが多い。しかし一方、彼女らは実名すらわかっていない。(中略)彼女らの事績は確かに大きいが、『源氏物語』にせよ『枕草子』にせよ、そのスタートは女御のサロンで回覧されていた、いわば「同人誌」が流出したもので、文学的価値が定着したのは鎌倉初期、藤原定家が『源氏物語』を再評価した頃のことである。

 紫式部の立場だけで見ても、現代のイメージと当時の実態には大きな違いがあるかもしれない。大河ドラマの主人公として取り上げられるほど著名な女性というイメージとはギャップがある。

奈良時代では重要視された女性たち

 ところが、奈良時代の女性は平安時代とは大きく異なっていたという。奈良時代の女性は、男性と肩を並べて宮廷で働いていた。後宮で働く女官は、かなり重要な役割を担っていたとのことなので、平安時代に入ってそれが大きく変わったわけだ。

 たとえば「尚侍(ないしのかみ)」と「尚蔵(くらのかみ)」と呼ばれる役職がある。「尚侍」は天皇直属の連絡係で、「尚蔵」は天皇の宝を預かる係だ。榎村氏は言う。

単純化すれば、尚侍は天皇の生きたスマホ、尚蔵は生きたIDカードのような存在だった。現代社会で国家を動かす人間がこれを携帯していないことはありえないように、彼女らがいなければ、天皇は天皇たりえなかったのである。

 奈良時代には女性の天皇がいたこともあって、内裏には女官が多く働いていた。奈良時代の女官は実務をおこなう存在だった。そのため、女性の天皇も女官がいなければ政治を執りおこなえなかったのである。