なぜか有毒とされた江戸時代のカブトムシ
また江戸時代に、なぜかカブトムシが有毒の虫と考えられ「悪むべし」と嫌われていたというエピソードも意外だ。今でこそ子どもから大人まで人気のカブトムシであるが、なんと当時中国から伝わった鳥飼育の技術書『飼鳥必用』に、カブトムシ有毒説が記されていたという。
それがきっかけとなったかどうかは不明だが、江戸後期の虫売りが蛍・コオロギ・鈴虫などを売る姿は記録されているものの、カブトムシを売っていた事実は残っていない。
では日本人のカブトムシ愛好はいつ頃から始まったのか。それがわかるのが1811年の昆虫図巻『千蟲譜』で記された、子どもがカブトムシで遊ぶ様子である。これにより、江戸の末期に差し掛かる頃になって、ようやくカブトムシの「無実の罪」が晴らされ、子どもに人気の虫に昇格した。
「忍者の教科書」に記された危機回避指南
今や映画や漫画の中でしか目にすることがない「忍者」。当時の「甲賀忍者」についてのエピソードもいくつか紹介されている。例えば滋賀県甲賀市の神社で見つかったという甲賀忍者の忍術書『軍法間林清陽』には、単なる忍法だけでなく忍者が失敗し窮地に陥った場合のことまで書かれていた。
「大勢に取籠められた時の習い」との条がある。忍者が不覚にも見つかってしまい、敵の大人数に取り囲まれた時の対処法が記されていた。どうするのか。こう教えている。「もし敵に見つけられ、知略もかなわず討たれる時は、二人にても三人にても、一つにかたまり、太刀先をならべ、敵の右へ右へと切り懸ける。敵を一つの丸(い塊)で討つ」
見つかることがタブーとされる忍者だが、彼らも人間。見つかってしまうことも当然あるだろう。そんな時には左腰に鞘や脇差がある当時の武士の左側を狙うのではなく、右側に斬りかかれと指南されているのだ。これは日本人のほとんどが右利きであることや、現在の剣道でも相手の右胴を打つのが基本であることからも理にかなっている戦法と考えていいだろう。