(堀井 六郎:昭和歌謡研究家)
稀代の写真家・篠山紀信氏が1月4日に83年の生涯を閉じた。日
報道の大きさで知る、篠山紀信の足跡
希代の写真家、篠山紀信さんが1月4日に亡くなりました。83歳でした。
激写、シノラマ、ヘアヌード、カメラ小僧など、篠山紀信という存在から派生した流行語には昭和末期の時代の香りが染みついています。
篠山さんの死はテレビ・新聞でも大きく取り上げられ、特に1980年代に『週刊朝日』の表紙(女子大生シリーズ)でお世話になった『朝日新聞』や朝日系の『日刊スポーツ』では、訃報を1面に掲載、写真家の死亡記事が1面に掲載されること自体がきわめて異例のことで、知名度の高さと足跡の大きさを物語っているようでした。
篠山さんの功績・評価・評伝についてはさまざまな媒体で論じられていますので、ここでは私の知っている篠山さんの横顔中心に激述することにしましょう。
「激写」とは速攻で心を掴む極意にあり
今から40年ほど前、私は非正規社員の身分で、ある月刊誌の編集部スタッフとして従事していました。その雑誌のグラビアページや表紙でお世話になったのが、当時40代前半で脂の乗りきっていた篠山さんでした。
その月刊誌で6年近く仕事をご一緒させていただきましたが、まあ仕事が早い、なおかつその場を楽しんでいる、という印象が強く残っています。
1975年、雑誌『GORO』の山口百恵のグラビアで独り歩きし始めた「激写」という造語ですが、写真の過激さを読者にアピールしつつ、実はここぞという決定的な瞬間を見逃さず激しい勢いで撮影する、つまり、撮影者・篠山紀信の気持ちを表現した言葉でもありました。カラーグラビアから漂う、その熱い思いが若い読者の心にも伝わったのでしょう。
当時、激安、激白、激辛等々、辞書にはない「激○」造語が続々登場、振り返れば、1970年代から80年代にかけて、時代が疾走している「今」を象徴していたのが「激」という一文字だったのかもしれません。