当意即妙の背景は生まれ育った寺にあり 

 こちらの要求で、ご自身のスタジオを離れて戸外で撮影するときもありましたが、頭の中にあるふさわしい場所をすぐにセレクトし、出発します。雨が降ってきたり、予期せぬ事態が起きたりしても動ずることなく、臨機応変に対応、全天候型のカメラで短時間で仕事を終わらせてくれました。

 仕事の速い篠山さんですが、頭の回転も速く、当意即妙の会話は誰をも楽しい気分にさせてくれるものでした。

「当意即妙」の語源は仏教用語の「当()即妙」で、「すべてのものごとはそのままの姿で、仏の真理にかなっている」という意味だそうですが、さすが篠山さん、東京・北新宿にある真言宗豊山派圓照寺の次男坊として育っただけに、「そのままの姿」を美しいヌード写真として昇華し、私たちに示してくれました。

 1986年(昭和61)4月26日、ソ連のチェルノブイリ原子力発電所で最大規模の原発事故が発生したときのこと。

 日本でも報道された当日のことだったと思いますが、その日は前述の月刊誌の撮影日に当たっていて、私が篠山さんのスタジオを訪れるやいなや「おい、○○(ここ、私の本名が入ります)、ソ連の原発事故が起きた場所、知ってるか」と、いきなりの詰問。

 半徹夜の仕事が続く中、テレビも新聞もろくに見ていない私は、「チェルノブイリっていうんだよ」と続ける篠山さんの言葉を待つだけでした。

 芸能人を相手の仕事が多い篠山さんでしたが、同時に文化人をはじめとした著名人との仕事もこなしていた篠山さん、浅く広く世相に通じようとする、日頃の学習ぶりを垣間見た気がしました。

「激写」の陰に、やさしさあり

 篠山さんより一回り年下の私ですが、近年は「大人の遠足」とか「一日散歩」などシルバー向きの外出イベントに誘われることが増えました。後日、スマホで撮影した画像を参加された方に送るとたいへん喜んでいただけることが多くあり、お世辞半分でしょうが、「いい写真ですねえ」「お上手ですね」と返信が来ます。

 スマホ使用以前のデジカメやインスタントカメラ使用当時から喜んでもらえることが多かったのですが、もしかしたら、知らず知らずのうちに、瞬間をとらえる篠山マジックの恩恵にあずかっていたのかもしれない、とつくづく思う今日この頃です。

 蛇足になりますが、1980年代前半に『リメンバー』という60年代、70年代の大衆歌謡を論ずる同人誌がありました。

「南沙織特集号」が発行された際、私の文章が巻頭に掲載されていたこともあって、篠山さんに贈呈したところ、「こういうマニアックな連中がいるからアイドルは大変なんだ」などと笑いながら受け取ってくれました。

 翌月の撮影日、ふだんは乃木坂近くのスタジオを訪れるのですが、その日は、六本木のご自宅に来るようお達しがあり、当日の朝、門の前からインターホンで到着を伝えると、出て来たのは、なんと南沙織さんだったのです。

 頭の回転が速いだけでなく、下っ端スタッフだった私に対して、こんな気遣いのできるのも、篠山さんの魅力でした。ご冥福をお祈りしています。ありがとうございました。

(編集協力:春燈社 小西眞由美)