武士同様に次世代の存続にこだわった百姓たち

 江戸時代でいう「百姓」とは農業だけではなく、漁業や林業も含まれる。百姓の家に生まれた者は代々の仕事を「家職」と捉え、武士と同じく次世代へ引き継ぐことを最優先とした。

百姓は、仕事を切り開いて働く人生であったとみることもできよう。

 武家の場合、男性は外で働き女性は屋敷内の仕事をするという形が多かったが、百姓の女性は養蚕や機織りなどに従事。家職を経営していく上での重要な働き手だった。

 百姓の家に生まれた者は次世代へ引き継ぐ際、少しでも「家」が富んでいるようにと収入を増やす努力をひたすら続けていた。

江戸時代にも派遣労働などの非正規雇用

 戦国時代、戦に動員された百姓たちは江戸時代に武家奉公人となる。当時は1年おきの参勤交代の際に武家奉公人を徴集したが、ほとんどが「人宿(ひとやど)」という斡旋業者から駆り出されていた者たちだった。現代でいう派遣労働に近いものだ。

勤勉の象徴として幼少期の像が日本各地にある二宮尊徳も幕府では非正規雇用に近い形で働いていたという(写真:アフロ)

 また江戸時代後期になると専門職を持つ武士たちが台頭してくる。たとえば農政の手腕を買われて幕府に登用された二宮尊徳(金次郎)などだが、こちらは非正規雇用に近い形だったという。

幕府職制において、慶応年間に至ってはじめて、個人の技量と階級が対応することが明文化されたのである。現在ではごく当たり前な給与階級制度の芽が、江戸時代の最後の最後に出現する。

「主家・主君を守る務め」から「個を生かした働き方」へと意識が転換していったのが江戸時代だったことがわかる。