敗者が感じた「モンスターに負ける」ということ
──森合さんは、2019年5月の井上尚弥のバンタム級3戦目(エマヌエル・ロドリゲス戦)から、試合2~3週間前に井上選手にインタビューをしています。インタビュアー観点で、井上尚弥は他のボクサーと何が違うのでしょうか。
森合:井上選手は、普段は穏やかで優しい青年です。ただ、一般的にボクサーは試合が近付くと、ものすごい緊張をしますし、減量や激しいスパーリングでピリピリします。相手が強ければ強いほどその緊張感は増します。
井上選手の場合は逆です。難しいと思われているような試合の前は、饒舌で機嫌がいい。簡単に勝てるというような下馬評がたつ試合の前は、口数が少なかったり、重い雰囲気になります。
彼は、デビュー当時から「強い相手と闘いたい」と言い続けています。本当に、強い選手と闘いたい、強い選手との闘いを前に興奮しているのだなと私は感じます。
──本書では、井上尚弥と闘い、敗れた選手に井上選手との対戦について詳細な取材をされています。多くの選手が、「井上尚弥と闘ったことは光栄だった」「自身の名誉」「戦えてよかった」と振り返っています。「井上尚弥に負ける」ということは、ボクサーにとって何を意味するのでしょうか。
森合:ボクシングは、1年に2~3試合程度が限界です。なので、1敗の意味がすごく重い。
負けた直後は、誰もが絶望を感じているはずです。でも、少しずつ負けを消化していき、徐々に振り返る作業をしていきます。私が取材したボクサーの多くは、井上選手との対戦を振り返り、大きな目標に向かっていく過程やトレーニング、そして気持ちがとても充実したと話してくれました。
また、井上選手がずっと勝ち続けている、すごい試合をし続けているということも、彼らの誇りです。「あの井上尚弥と自分は闘った」ということが、精神的な拠りどころとなっているのです。
日本ライトフライ級王座防衛を賭けてデビュー4戦目の井上選手と対戦した田口良一選手。2023年11月現在、彼は日本人で唯一、井上選手相手に判定まで持ち込んだ選手です。
引退後、初対面の人に「この人、世界チャンピオンだったんですよ」と紹介されることも多いそうです。すると、紹介された側は「すごい」となります。しかし、そのあとで「井上尚弥と判定までいった」と付け加えられると、もっと驚かれる。
もはや、世界チャンピオンという称号よりも、井上尚弥と闘った、判定までいったというほうが、世間的な評価は高いのでしょうね。