ジャニ担のお仕事

小菅:そういう時に、間に入って調整するのが、いわゆる「ジャニ担」と呼ばれる存在です。テレビや宣伝や間に入る広告系の会社にそういう人たちがいる。「ユー、明日写真撮影あるから」とジャニーさんは言うけれど、本当にそんな仕事があるかどうかはちゃんと決まっていないことも多い。アバウトな約束なのです。

 私がいた頃は、ジュニアが「写真撮影があるから行ってこい」と言われて現場に行くと、てっきり自分の撮影だと思ったら、他にも何人もいて「集団の中の1人として写っていいという意味だった」という話をよく聞きました。メインのアイドルのバックには、ジュニアたちを必ず入れるのがジャニーさんの流儀です。とにかく少年たちの顔を見せる機会を作る。

 ジャニーズのタレントが出ていたNHKの音楽番組「ザ少年倶楽部」(BSプレミアム)でも、必ず顔を見せるようにジュニアたちを舞台に出しているでしょう。「踊れなくたっていいじゃない、顔を見せるのよ」とジャニーさんはよく言っていました。

 フォーリーブスが人気絶頂の時に、日劇で公演をしました。郷ひろみがその様子を横で見ていた。私もそこに居合わせた。すると、ジャニーさんが突然、ひろみの背中を押したのです。

 戸惑ったひろみに「バックで真似して踊ってごらん」と言う。準備もなにもありません。突然駆り出された郷ひろみは一生懸命踊っていました。ライオンは我が子を谷底に落とすと言いますが、まさにあんな感じですよね。

 そういうジャニー方式と合わなかったのが藤島ジュリー景子です。彼女は、プロのダンサーや歌の先生などを付けて、十分に訓練してからグループを構成する。ちゃんとした形じゃないとアイドルを表に出さない。ジャニーさんとジュリーだと、アイドルの育成方法がかなり違います。

 そんなこともあり、ジュリーはジャニーさんの目があまり届かなかった関西アイドルの育成に励みました。関ジャニ∞やなにわ男子などは、ジュリーがデビューまで導いたグループです。

 ただ、ジュリーはKinKi Kidsのプロデュースで躓きました。アイドルとしては成功しましたが、あの2人はジュリーとあまり仲が良くならなかった。

 その結果、2人からのいろんな相談が、ジュリーを飛び越えてジャニーさんに直接いくようになりました。メリーさんは当時焦っていたと思います。このままだと、娘ジュリーを次期社長に推すことが難しくなる。

 やがて、ジュリーが嵐をプロデュースして成功します。メンバー1人ずつと丁寧にコミュニケーションを取っていったようです。ジャニー死後に、メリーさんがジュリーを社長に指名していく流れがこうして作られました。