メリー氏の信用を得た「事件」
小菅:それで、1カ月くらいメリーさんが口をきいてくれなくなりました。でも、週刊誌の上司からは「そろそろジャニーズで何かやってよ」と言われる。それで、少し間を置いてから会いにいったら、以前のように気楽に話してくれない。だけど、帰れとも言われませんでした。
私は、この時にすごい企画を用意していたんです。
郷ひろみの後ろでいつも踊っていた9人のジャニーズジュニアたちの人気が高まっていたので、この9人を3人ずつに分けて3つのグループを作り、札幌、大阪の万博、九州にそれぞれ送り込み、雑誌「Seventeen」を持っていけば、現場で彼らと握手できるという握手会の企画を持ちかけたのです。
この話をすると「最近のアイドルがやっていることと同じだ」と言う人がいますが、最初にやったのは私だと思います。
「大丈夫なの?」「そんなことして事故にならない?」とメリーさんは心配したけれど、私は大丈夫だと説得して実行しました。そうしたら案の定、大阪では熱狂的なファンが殺到して揉みくちゃになり、怪我人が出てしまいました。
「警察がお前を探している」と上司から言われ、翌朝、新幹線で大阪の警察に自ら行って、午前中3時間ほど事情聴取を受けました。本当に警察のご飯はまずかった。午後も3時間ほど事情聴取を受けて、結局書類を作るだけで済まされました。
ところが、この事件があってから、かえってメリーさんは「小菅は体を張ってジャニーズのために頑張った」と、私を信用するようになったのです。
──カウアン・オカモト氏にインタビューした時に、ジャニーさんの仕事の入れ方がとてもいい加減だったという話が出ました。ジャニーさんが「仕事を入れておいたから行ってみろ」というので現場に行くと、現場がぜんぜん知らなくて、スタッフが慌ててジャニーさんに確認の連絡を取ると「僕が行けと言ったよ」という答えが返ってくる。そこから、急遽その人の出演が決まることがしばしばあったそうです。当時からそういうことはありましたか?