「オスロ合意」でガザ地区の自治へ
イギリスは、「フサイン・マクマホン協定」でアラブ人に独立国家の建設を約束する一方、フランスやロシアとは「サイクス・ピコ協定」で戦後に英仏で中東を分割する密約を結びます。さらに「バルフォア宣言」でユダヤ人による国家建設を支持しました。
第1次世界大戦後、パレスチナはイギリスの統治下になりました。その後、第2次世界大戦を経て、ドイツ・ナチスによる大量虐殺「ホロコースト」の犠牲になったユダヤ人に対する国際的な同情が高まりました。国連でパレスチナ分割決議が採択され、ユダヤ人のための国をアラブ人が多数住んでいたパレスチナに作ることになりました。
もともとパレスチナに住んでいたアラブ人は土地を追われることになり強く反発しますが、1948年にユダヤ人からなるイスラエルが建国を宣言。ヨルダンやエジプトなどのアラブ諸国がこれに反発する形で4回にわたって中東戦争が勃発します。イスラエルは第3次中東戦争での圧勝を経て、パレスチナ全域を占領しました。
その後もパレスチナとイスラエルの対立は続きましたが、1993年にパレスチナとイスラエルの共存を目指す歴史的な「オスロ合意」が調印されました。これに基づき、パレスチナ暫定自治政府が設立され、「ヨルダン川西岸地区」、そして「ガザ地区」の自治を始めることになったのです。和平への希望が高まりました。
ただ、パレスチナ暫定自治政府の設立後も、依然として多くがイスラエル軍の占領下になっていたことやパレスチナ暫定自治政府の腐敗などを背景に、パレスチナ側とイスラエルとの武力衝突は続きました。