純歌は事故の様子を絵美に説明していったが、涙声で感情をコントロールするのが難しいような状態だった。看護師が何度も病室に来て血圧などの機械の数値をメモしていく。

「血圧のデジタル表示が40ぐらいだったので、これは大変なことだと思いましたが、純歌ちゃんに動揺を与えることになるので黙っていました」(絵美)

願いも虚しく…

 絵美は仲本が峠を乗り越えることを祈って病室を後にした。このあと絵美から連絡を貰った筆者は「今夜が峠」というフレーズが耳に残り、翌朝に絵美と連絡を取った。

「朝になったけれど、仲本さんは峠を越えたのかな」

「純歌さんから連絡がないから大丈夫じゃないのかな」

「それなら良かった」

「そうよ。仲本さんはあんな有名芸能人なのに、威張ることもないし、腰も低くて常識人だもん。助かってもらわないと困るわ」

 しかし、その願いも虚しく仲本は亡くなってしまった。

「どうやらダメだったみたい」

 絵美から連絡を貰ったのは午後8時半ごろだった。

「まだ報道はされていないようだけど?」

「多分、これからニュースになることでしょうね。悲しいわ」

「そうか…。残念だな…」

 午後11時前、仲本の死去が臨時ニュースとなって一斉に流れた。発表では19日の22時22分急性硬膜下血腫により死亡とされ、ドリフターズのメンバーとしてはリーダーのいかりや長介、荒井注、そして志村けんに次ぐ死去となった。

マンガ雑誌を手にリラックスする仲本工事さん。1970年、東京・赤坂のTBSにて撮影(写真:共同通信社)マンガ雑誌を手にリラックスする仲本工事さん。1970年、東京・赤坂のTBSにて撮影(写真:共同通信社)

 遺体は警察が死因を調べるために引き取り、翌日、大田区雪谷大塚駅前の葬祭場に運ばれた。仲本の事務所はマスコミに対し「葬儀は家族葬で行い、後日お別れの会を開く予定」と告知していた。