中国の若者文化とはネット・コミュニケーションの文化

 中国でIT産業が勃興した背景に、2000年代から続くパソコンを介したコミュニケーション文化がある。

 特に、「WeChat」という中国のコミュニケーションのインフラを独占的に運営しているテンセントは、もともと1999年に「OICQ」(のちの「QQ」)というインスタント・メッセンジャーを公開したところからスタートした。そして、瞬く間に「QQ」は若者たちがコミュニケーションを取るためのインフラとなった。

「QQ」は、過剰で過酷な受験戦争に押しつぶされそうになっていた若者に、「成功」のための勉強を中心に統制されていた日常生活から抜け出し、全く遠く離れた世界、一種の飛地ともユートピアともいえるような新しい「場」へのアクセスを可能にした。

 また、パソコンもネット接続も一般の家庭に普及していなかった当時、パソコンのソフトウェアであった「QQ」には、ネットカフェでアクセスすることが必要だった。薄暗く閉鎖的なネットカフェという空間はその日常世界からの切断という性質をさらに強調しているように感じられた。

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 当時の「QQ」はユーザーのオンライン時間に応じてレベルが上がっていくシステムなどを導入し、コミュニケーションをゲーム化したと同時に、さまざまなゲームを「QQ」と統合させて、「みんなでワイワイ言いながら遊ぶ」というゲームのコミュニケーション化も行っていた。現在、テンセントは「WeChat」や「QQ」の運営とは別に、世界最大のゲーム会社として知られている(そう、ソニーでも任天堂でもエレクトロニック・アーツ[EA]でもない)が、そのゲームもまたコミュニケーションをベースとしているものである。

 現在の中国の若者文化とはネットを介したコミュニケーションをベースとした文化にほかならない。そのエネルギーと力のほとんどすべてがウェブ・コミュニケーションから生み出されているのである。

すべてが同一の論理で貫かれる苦しさから生まれた「交流」

 日本の若者には、家庭、学校、友人との小コミュニティ、地域社会、全体社会といった細かく分散した所属先があり、それぞれが異なる価値観や論理によって動く場合が多い。

 例えば、家庭は安心と承認の場所として、学校は勉学や部活といった活動に打ち込む場所として、地域社会はボランティアや祭りなどの公的な活動の場所として、友人とはいっさいの利害関係から自由な「ダベる」場所として、と異なる文脈においてそれぞれをとらえることができる。

 それに対して、中国の家庭、学校、地域社会、社会全体はすべて同一の論理によって貫かれている。すなわち、競争による社会階層の上昇であり、その手段は「良い大学への入学」一択しかなく、勉強こそ人生を成功させるための唯一の道だと考えられていた。すべての川が一本の大きな川――それこそ長江や黄河のような川――に「合流」する、というふうにイメージしてもらえば良い。中国の若者たちにとって逃げ場がないと感じられてもおかしくない。

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