北公次、カメラが回り始めた後の変化

本橋:1988年の秋に本が出て、翌年にドキュメンタリービデオを作りました。ビデオの内容は基本的には本と同じで、公ちゃんが性被害などを独白していくところを長々と撮っています。

 当時、村西とおるは「ダイヤモンド映像」というバブリーな名前のビデオ制作会社を立ち上げていました。この中に5つくらい異なるレーベルがあり、その中にイメージビデオを作る「パワースポーツ」というレーベルがありました。北公次のビデオはそこから出そうという話になりました。

 その頃、毎日公ちゃんと会っていた私は「監督をやります」といって手を挙げました。

 公ちゃんはビデオでもジャニーさんの性加害について赤裸々に語りました。撮ったのは高田馬場の私の事務所です。動画の中で、山手線の警笛やブレーキ音、下を走る車の音などが騒音で入っちゃっているのだけれど、かえって雰囲気がよく出ている。

 撮影したのは、村西とおるのスタッフで、ADや男優をしていたターザン八木。関係ないけれど、八木ちゃんは出演したビデオで童貞を失ったというエピソードの持ち主です。

──動画を見ると、最初は穏やかに話し出す北公次さんが、次第に興奮していき、後半はジャニー社長とメリー副社長に激怒するような調子になっていきます。

本橋:あれは演出ではありません。打ち合わせは一切なかった。私は公ちゃんに「ジャニーさんたちに向けて思いのたけを言ってくれ」とだけ頼みました。本で語った内容をなぞってもいいから、思うことを好きに言ってほしいと。

 ニューオータニで最初に面会したときは、公ちゃんは心ここにあらずで、話しかけても反応も遅いし、地味で、景色に紛れ込んでしまっているような感じでしたが、ベーカムのカメラを回した瞬間に、完璧なプロのカメラ目線になった。

 一点をじっと見つめて喋り続けた。これは簡単なようで、なかなかできることじゃありません。人はちょっと考えたりするときに、斜め上のほうをチラっと見たりするものですが、それすらもやらない。

 カット割りを入れたり、ズームしたりして、もっと絵的に工夫するべきだったと後から反省したのだけれど、今思うと、逆にそれが良かった。まるで、裁判資料のような印象になりました。

 撮影した八木ちゃんに先日会った時に「八木ちゃん、なんであの時ズームとかしなかったの」と質問したら、彼は「これから北公次が話すことは歴史的な証言になると思い、緊張して絵的に工夫する余裕はなかった」と言っていました。

 私の高田馬場の事務所で、男3人で撮った映像が、まさか35年後に、ここまで世の中で配信される映像になるとは思いもしませんでした。NHKをはじめ、あらゆる地上波の報道番組が「映像を使わせてほしい」と問い合わせてきた。35年越しのサブカルの勝利です。