「こんなことの繰り返しでええんやろか」。2010年の冬、暴力事件を起こして広島刑務所に服役していた当時38歳の元ヤクザ(山口組系組員)は思った。この時点で何か明確にやりたいことがあったわけではないけれど、生き方を変えたいと思った。ふと思いついたのは、法律関係の資格を取ることだった。
騒がしくて雑居房では勉強にならないと感じた彼は、小さなトラブルを起こして自ら独居房に入り、刑務官に見つからないように民法を暗記し続けた。8年後に彼は見事に司法書士の資格試験に合格していた。
ヤンチャに生きてきた男は、なぜここまでひたむきに努力することができたのか。『元ヤクザ、司法書士への道』(集英社インターナショナル)を上梓した司法書士の甲村柳市氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)
──五代目山口組傘下「義竜会」の竹垣悟元会長の盃を受けて、1993年から2005年まで、山口組系の組織の組員として活動していたという話です。当時どんな生活をされていたのでしょうか。
甲村柳市氏(以下、甲村):私はいわゆる「しのぎ」のような、組織のための資金集めの活動はしていませんでした。山口組系組織の組員とはいえ、ほとんど個人で活動しており、闇金、興信所、不動産ブローカー、廃家電の輸出業、過払い訴訟、キャバクラ経営と、などなんでもかんでも手を出しました。
当時は「石を投げればヤクザに当たる」というほどヤクザが多かった。少なくとも、私のいた岡山ではそうでした。右を見ても、左を見ても、後ろを見ても、360度いつもどこかにヤクザがいた。最近もよく倉敷を歩きますが、そういう雰囲気の人はほとんど見かけなくなりました。
1991年に「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」(略称:暴対法)ができたあたりから、私だけではなく、多くの人が「そろそろ暴力団も潮時かな」「この世界にいたらメシが食えなくなる」という危機感を抱き始めたと思います。
──ヤクザになる時に、竹垣会長に対して「俺の人生を預けても大丈夫な人だ」と直感したと語り、2005年に竹垣会長が引退したときに「一緒にヤクザを辞めた」と書かれています。
甲村:会長から盃を受けたのが、21歳だったと思います。これは第一印象からくる直感で、具体的な根拠があるわけではないけれど「この人には心がある」と、初めてお会いした時にそう感じました。
会長は東映で俳優もしていました。大部屋俳優(メインではない役を演じる俳優)です。鶴田浩二主演の任侠映画などによく出演していました。
2005年に会長が引退され、同じタイミングで私もヤクザをやめました。会長はヤクザをやめてから、特定非営利活動法人「五仁會」というものを立ち上げ、暴力団員の更生支援や繁華街の清掃活動などを始めた。
そんな会長の姿を見て、自分も何か会長が喜んでくれるような手土産を持っていきたいと思いました。すでにこの時には法律の勉強を始めていたので、やがて、行政書士の資格を取ると、会長にそのことを報告しに行きました。会長はとても喜んでくれた。
その時に「今度は司法書士の資格を取ります」と会長と約束したのです。「合格するまでは会長のところに顔を見せない」と勝手に決め、しばらくまた勉強に励みました。それから、数年かけて司法書士の資格を取り、会長と再会を果たしたのです。会長はビックリしていたし、とても喜んでくれました。