北公次を落とした村西とおるの言葉

本橋:公ちゃん(北公次)は当時、出身地の和歌山県田辺市に戻っていましたが、村西とおるのクルーは現場に飛び、聞き込みをして実家を特定した。対面した公ちゃんはときどき肉体労働をしていたようですが、定職はなく、土気色で、当時、流行っていた咳止めシロップの飲み過ぎで心ここにあらずという状態だったそうです。

 事の次第を説明し、取材に協力してほしいと説得し、後日、東京に呼び寄せました。

 村西とおるからゴーストライターになることを依頼された私は、ホテルニューオータニで公ちゃんと初対面しました。この時の彼からは、元スターの華やかさはまるで感じられませんでした。

 地味で、落ち込んでいて、逮捕歴はあるけれど仕事はない。これが元スターの北公次だとは誰も気づかないような雰囲気でした。

 私は「北公次の半生記の本を出そう」と言いました。公ちゃんは提案に乗りましたが、こちらの一つの狙いは、ジャニーさんとの関係について語ってもらうことです。

 後日、浅草ビューホテルで聞き取りが始まりました。公ちゃんはこの段階ではまだ、ジャニーさんとの関係を全否定していました。

「やはり噂でしかなかったのかなぁ」と思いながら、彼の半生について話を聞いていくと、聞き取り4日目になって、「今まで語ってきたことは全部本当だけれど一つだけ嘘をついた」と言って、公ちゃんが頭を下げました。そして、ジャニーさんとは本当はそういう関係があったと認めたのです。

「俺たちは付き合っていた」「一緒に暮らしていた」「夫婦みたいな関係だった」と言いました。そこから堰を切ったようにしゃべり始めたのです。

 当時、彼は奥さんと離婚したばかりだったけれど、「別れた妻にもジャニーさんとの関係は話さなかった」と言っていました。彼は真実を墓場まで持っていくつもりでした。

 話を聞くと、こちらが想定していたよりも2人の関係は深かった。そしてじつは北公次の「北」の字は、ジャニー喜多川の「喜多」からきていたのだとも言いました。養子縁組の話までしていたそうです。

 なぜ4日目になって突然彼が語り出したのかと言うと、実は前日の晩に村西とおるが公ちゃんに電話を入れていたのです。「もう北公次でやっていける時代じゃない」「みんなあなたのことを覚えていない」「すべて投げうって再生するには全部吐き出して裸にならないとダメだよ」と伝えたそうです。