「ジャニーさんに襲われた時は童貞だった」

本橋:村西とおるには得意の応酬話法がある。情熱を持って話す人に、人は心を動かされる。村西とおるは情熱の塊です。村西とおると公ちゃんは学年でいうと同じ学年で、2人とも地方の出だし、貧しい生い立ちも共通していた。その辺もあって彼の言葉が響いたのだと思います。

 話しているうちに、公ちゃんは吹っ切れたのか、肛門性交をされたことを告白しました。何度もやられたと言いました。本では控えめに書きましたが、ほぼ毎日のようにそういうことをされていたようです。

──「夫婦だった」と言いつつ、北公次さんは「同性愛者には最後までならなかった」とも本の中で書かれています。

本橋:ジャニーさんの好みのタイプが異性愛者なのです。新宿二丁目などの用語だと、いわゆる「ノン気」。つまり、女の子が好きな男の子がジャニーさんの好みなのです。同性愛の世界ではよくあることで、「ノン気じゃないとダメ」という人も結構多い。

 ジャニーさんはさらに小児性愛(ペドフィリア)がある。そして、支配的な迫り方を好む。だから、小中学生の性経験のない男の子に無理やり、という形になる。まずい条件が重なったわけですね。

 北公次もまさにこのパターンでした。最初にジャニーさんに襲われた時、彼はまだ童貞だったそうです。長いジャニーズ事務所の歴史の中でも、6年以上ジャニーさんが一緒に住んだのは公ちゃんだけです。一番深い関係だったと思います。

──「解散してソロになり、覚醒剤使用で逮捕され、職を失い、鳴かず飛ばず、苦悩の10年」と書かれています。ジャニーズ事務所を離れてから、本を出版するまで、北公次さんはどのような生活をしていたのでしょうか?

本橋:フォーリーブス解散後、彼は歌とダンスで生きていくつもりで、単身アメリカに渡り、ダンスの修行の旅に出ました。でも、アメリカでは良い師に巡り合うことができず、身に付くものがなかったと早々に帰国しています。そこから日本で歌とダンス、役者をやりますが、大きな成果は上げられなかった。

 この直後に、覚醒剤で逮捕されました。フォーリーブス解散の数年前からほぼ毎日のように覚醒剤をやっていたようです。有名人なんかと一緒になってクスリに興じていたようで、ステージでコードを握ってマイクを振り回したり、切腹の真似事をしたり、犬の首輪を付けて銀座の街を徘徊したり、彼のどこか常軌を逸したパフォーマンスはクスリの影響だったのだと思います。

──覚醒剤をやっていない時間は、逆にすごく物静かで恥ずかしがり屋なタイプだったと書かれていますね。

本橋:そうです。インドア派ですね。ドラッグをやっていると、だいたい人は内向的になっていきます。それから、いつも女と一緒にいるようになる。覚醒剤はセックス・ドラッグですから。

──「1989年盛夏。私は北公次を主役にしたビデオ版『光GENJIへ』(パワースポーツ)を撮り始めた」と書かれています。これがどのような内容のドキュメンタリーだったのか、教えてください。