スターリンの支配下にあった毛沢東
第二次世界大戦中から、ソ連のスターリンは、アジアで仲間の共産主義国家を増やすため、中国では毛沢東、朝鮮半島では金日成を支援してきた。
日本が中国に進出する過程で、日本軍とよりも蒋介石の国民党軍と戦うことを優先させた毛沢東にとって、武器供与など命綱はスターリンのソ連であった。常にモスクワと連絡をとり、支援を求めてきた。また、ソ連も中国共産党陣営に軍事顧問や工作員を送り込んで協力した。後に日本で処刑されるソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲも上海を拠点に毛沢東支援の活動を展開している。
毛沢東は、スターリンと同様な独裁権力を中国に樹立することを最優先にし、その最大の障害である蒋介石との戦いに勝つことに全力を挙げた。そのためには、日本軍との協力すら厭わなかったのである。
日中戦争が本格的に始まるのは、1937年7月7日(盧溝橋事件)であるが、その前の1936年12月12日、蒋介石は張学良によって監禁された。西安事件である。毛沢東は、この機会に蒋介石を処刑させようとしたが、最終的には、モスクワがそれに反対し、毛沢東はライバルの排除に失敗した。このように、当時の毛沢東はスターリンの命令には従わざるをえないくらいに、ソ連頼みで内戦を進めていたのである。
1945年8月15日、日本が無条件降伏するが、翌年6月、中国では国民党と共産党の間で内戦が再開された。毛沢東は、相変わらずスターリンに支援を求めていく。そして、国共内戦に勝利し、1949年10月1日、中華人民共和国の建国を宣言した。
その2カ月後の12月に毛沢東はモスクワを訪問し、2カ月にわたってソ連側と交渉を重ね、粘り強い交渉の末に、スターリンから多くの譲歩を引き出し、1950年2月14日に中ソ友好同盟相互援助条約を結んだ。