かつて米国も大胆に使った「食品輸出」のカード、戦後の日本に大きく影響
米国のホワイトハウスに異例の農園ができたのは、第2次世界大戦中のことだった。当時のルーズベルト大統領のエレノア夫人が作った「勝利菜園(ヴィクトリー・ガーデン)」だ。これが象徴だったように、米国では戦時中に国をあげて食料の増産にとりかかる。
だが、米国の食料増産は戦時下の自国民を賄うためでも、前線の兵士に送るためでもなかった。戦場となった欧州のためだった。やがて戦争に勝利しても、焼け野原の欧州では食料不足が喫緊の問題となる。
同時に戦争の終結は、ソ連の社会主義勢力と、自由主義の米国との対立を生み出す。戦争で荒廃した欧州も東と西に分裂する。その時にどれだけの国を西側陣営に引き込むことができるか。そこで役に立つのが食料だった。食料支援で西側に引きつける。
言ってしまえば、いまのプーチンは同じことをやっている。ウクライナ侵攻で欧米諸国との対立が深まる。国際社会でどれだけの支持をロシアに取り付けるか。アフリカ諸国、さらにはグローバルサウスをどれだけ懐柔することができるか。そこでウクライナ産を締め出した食料が武器になる。
戦後の欧州で出来上がった構図は、歴史が示す通りだ。マーシャルプランも功を奏し、米国が支援する西側諸国の復興も進む。
ところが、戦後10年も経てば、食料生産も自国で賄えるようになる。そうすると、食料の支援の必要もなくなる。増産体制を構築した米国では、穀物の過剰生産が問題となる。