真に反対すべきは制度それ自体の粗雑さ
まあそんなことはどうでもいいのだが、バカっぽいのは「マイナ」という略称だ。マイナカード、マイナポイントにマイナ保険証。エンタメやサブスクとおなじで、またこんな軽薄な略語を使いはじめたのはマスコミだろうが、かれらは些かも恥かしいと思わないんだろうな。
ところがこのことに、ひそかに怒っている人がいる。87歳の文芸評論家・蓮實重彥だ。かれがこういっている。「重要なのは『マイナ・保険証 一本化』への賛否などではなく『マイナ』という醜悪な語彙を口にせずにおくことだ」(『ちくま』No.628、2023・7・1)。
ある日の首都圏向けの地方紙の第一面に、「マイナ・保険証 一本化」という活字が大々的に印刷されているのを見て、蓮實は頭にきたのである。
「自分たちが『マイナ』という醜悪な略語をひたすら流通させることで、「マイナ・保険証 一本化」という現実がもたらされたという意識が恐ろしく希薄である。『マイナ』などという醜悪な略語を新聞紙面によって世間に広めてしまったことの責任をみずから問おうともしない記者たちの社会意識の希薄さこそが問題なのである。真に反対すべきは、『マイナ』というグロテスクな語彙の使用でなければならない」
蓮實のいうことはよくわかる。
だが「真に反対すべきは、『マイナ』というグロテスクな語彙の使用」ではなく、やはり制度それ自体の粗雑さである。役人やマスコミは「醜悪な略語」といわれても、歯牙にもかけやしない。
一説によると、これまでマイナンバー事業には2兆円をつぎ込んでいるという。今年はエサとして国民に2万「マイナポイント」を与えた。これだけで、どれだけの総額になったのか。そこまでして、マイナンバー事業はいったいなんのために、だれのためにやっているのだ。