(榎並 利博:行政システム株式会社 行政システム総研 顧問、蓼科情報株式会社 管理部 主任研究員)
「今の政府とやらぁ、信用ならねぇよ」
床屋談義で耳にするなら、別に目くじらを立てることもなく、黙って笑いながら聞き流していればよい。然るべき立場にある人やそれ相応の教養ある人たちは、そのような乱暴な物言いをしないからだ。
しかし、マイナンバーやマイナンバーカードの話題となると、それ相応の立場で教養があると思える人でさえ、「政府は信用できないから」と時々口にするのを聞く。
実際に、「政府は信用できないからマイナンバーを使うべきではない」「マイナンバーカードは持たない」と言われたことが何度もある。
真顔でこのようなことを言われると、こちらは戸惑い言葉を失ってしまう。この人は民主主義の仕組みを知らないのだろうか、はたまたこの人はいつの時代を生きているのだろうか、と。
いまだにこの世の中が明治以前や戦前と同じだと思っている人が多いのだろうか。中には、いまだに「お上」という言葉を使う人さえいるので困ってしまう。
明治以前は、政府とは徳川家のことだった。徳川軍事政権下では憲法も人権規定もなく、庶民は統治される側であり、統治に参加することは禁じられた。その意味で「政府は信用できない」と陰で呟くこともあっただろう。
戦前は大日本帝国憲法下にあり、天皇主権説や天皇機関説があったが、少なくとも国民に主権はなかった。国民は臣民(天皇の家来)としての位置づけであり、人権規定といっても自然権に基づくものではなかった。国民に主権はなかったのだから、「政府は信用できない」と思うこともあっただろう。
つまり、明治以前も戦前も、政府とは「国民とは異なる第三者」だったのだ。
しかし、戦後の日本国憲法では国民が主権者であり、それが意味するところは政府イコール国民ということになる。人権規定も自然権に基づくものになった。
もちろん、権力によって不当に国民が統治への参加を妨げられているなら話は別だ。選挙への立候補や投票行為に対する妨害などがあるなら、「政府は信用できない」という言説もうなずける。
果たして、現在の日本はそのような状況だろうか。