2011年3月21日に撮影された福島第一原発の様子。煙が立ち上っているのは3号機(写真:TEPCO/ロイター/アフロ)

(科学ジャーナリスト:添田 孝史)

 原子力災害は、風水害や地震災害より発生頻度は小さいものの、起きればその被害は甚大だ。東日本大震災の被害額(原発事故によるものを除く)は16.9兆円*1と推計されているが、東京電力が福島第一原発で起こした事故の除染や賠償、廃炉などにかかる費用は21.5兆円*2と試算されており、今後さらに膨らむのは確実と見られている。

 原発事故で亡くなった人も多かった。「福島第一原発で事故が起きたが、それによって死亡者が出ている状況ではない」(高市早苗・自民党政調会長〔当時〕が2013年6月に講演し、後に撤回し謝罪)という発言もあったが、それは事実とは異なる。

*1   内閣府 東日本大震災における被害額の推計について 2011年6月24日
https://www.bousai.go.jp/2011daishinsai/pdf/110624-1kisya.pdf

*2 経済産業省 東京電力改革・1F問題委員会(第6回)参考資料2016年12月9日
https://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/energy_environment/touden_1f/pdf/006_s01_00.pdf

津波の恐ろしさを今も伝える、壊れたままの小学校

 東日本大震災からちょうど12年となる2023年の3月11日、福島第一原発1号機から北へ約6キロのところにある震災遺構の浪江町立請戸小学校*3を訪ね、亡くなった人たちのことをあらためて考えてみた。

*3 震災遺構 浪江町立請戸小学校 2021年秋から震災遺構として公開されている(https://namie-ukedo.com/)。

 この日は見学者だけでなく、近所に住んでいた人たちや当時の在校生らも姿を見せ、校内のあちこちで震災の時の話をしたり、近況報告をしたりしていた。地域の中心にある小学校の雰囲気が、少しだけとり戻されていたようだった。

 小学校は海岸から約300m離れたところに建っている。震度6強の本震から8分後、学校にいた82人の子どもたちは、西に約1キロの山に向かって避難を始めた。ふもとまで子どもたちが到達した十数分後には沿岸部に津波が襲来した。際どかったものの、全員無事に避難できた。

 校舎は、2階の床より少し高い位置まで津波に襲われた(写真1)。小学校の建物は、津波の強い波力で室内が破壊されたまま、窓ガラスも吹き飛ばされたままの状態で公開されている(写真2)。2階の教室の窓からは、福島第一原発の排気筒が見える。

【写真1】津波の浸水深を示す看板が2階に取り付けられている
【写真2】津波の力で分電盤が倒れた職員室の様子