2015年11月、「MRJ(後にスペースジェットと改称)」は初飛行に成功し、事業化への期待が一気に高まったが・・・(写真:Aviation Wire/アフロ)

2月7日に三菱重工業が正式に開発中止を発表した小型ジェット旅客機「三菱スペースジェット(旧MRJ)」。なぜ開発に失敗したのか、当コラムでも取り上げてきたが、試験機が米国で解体されたとの話が伝わってきた。多額の補助金を受け、自国開発のジェット旅客機という「国民の夢」を背負ってきたプロジェクトの挫折を将来に生かすためにも、残りの試験機を保存すべきではないのか。

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(杉江 弘:航空評論家、元日本航空機長)

残る試験機は2機

 国産初の民間航空用ジェット旅客機「三菱スペースジェット(旧MRJ)」の飛行試験機が解体されたとの報道が出ている。

 3月8日(日本時間9日)に試験機を保管している米ワシントン州モーゼスレイクで解体されたのは、2015年11月11日に秋晴れの県営名古屋空港で初めて空に向って飛び立った初号機だという。2022年に解体された3号機に続き2機目の解体となった。試験機は全部で4機あり、現時点で残っているのは2号機と4号機となった。

 三菱重工は今年2月7日に正式にスペースジェットの開発中止を発表し、国産旅客機の事業化の夢はついえた。

 泉澤清次社長兼最高経営責任者(CEO)は記者会見で、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と述べた。それは参入するマーケットと事業の内容をもっと勉強した上で入っていくべきだったとの反省から出た言葉であろう。

 スペースジェットが頓挫した最大の要因は、事業化に必要な「型式証明」の取得にメドが立たなくなってしまったことだ。その点について泉澤社長は次のように述べた。