「充実した人生」とかにあおられるのが一番まずい

 他の人もそうだろうと思ったが、考えてみれば他の人にそんなことを聞いたことがない。もしかしたら他の人は、会社勤めはそんなに嫌じゃないのか。むしろ楽しそうな気配もありそうだ。

 もちろんそういう人は、大いに新しい会社で力を発揮すればいいのである。あまり数は多くないだろうが、引く手あまたという人もいるだろう。

 なかには資格をとったり、大学に通い始めたり、スポーツをする人もいる。「する」ことに関しては、通信講座からなにから至れり尽くせりのものが用意されている。

 若いときにしたいと思ったものの、できなかったことも多々あるはずである。定年退職で時間もお金も余裕ができた人は、それをやってみるのもいい。当然そういう人は、だれにいわれるまでもなく、すでにやっているにちがいない。

 一番まずいのは、「充実した人生」とか「第二の青春」とか「豊かな老後」などのマスコミ標語にあおられることである。最近はなにかというと「人生100年時代」だから、という。かれらは、視聴率を稼ぐために、また週刊誌や本を読んでもらいたいから、あることないことを誇張するのである。

「充実した人生」、「第二の青春」、「豊かな老後」のような言葉にしばられてはいけない(写真:アフロ)

 いうまでもないが、かれらは責任を取らない。いいっぱなしである。ちょっと考えてみればわかるが、いずれも中身のない表面だけの美辞麗句だということがわかる。

 ただ退職してみてはじめてわかることだが、「毎日が日曜日」というのは在職時に想像していたほどうれしいことではないのである。日曜はやはり、嫌な平日があってこその日曜日なのだ。

 だからといって、なにもしない自由も退屈なもんだ、と嘆くことはない。それは贅沢というものである。しあわせというものは、いざしあわせのなかに入ってみれば、こんなものかと、「しあわせ」を実感できないのとおなじなのである。