革マル派と手を組んだ葛西氏
──国鉄の分割民営化で国労を敵に回した葛西さんは、動労の委員長だった松崎明氏と手を組みます。革マル派創設時の副議長として極左運動を率いてきた松崎氏は、本来は葛西さんが最も嫌悪する相手だったのではないかと想像しますが、なぜ両者は手を組んだのでしょうか。また、松崎氏は全国のJR各社の持つスト権を集めようとした、とも書かれています。
森:国鉄職員は公務員なので、ストライキ権は持っていません。そこで、国労はストライキ権を求めるためのストライキ「スト権スト」を行いました。「ストライキ権」を獲得することは国鉄の労働組合の悲願でした。
しかし、当時の自民党幹事長だった中曽根康弘さんはこれを見越して、全日本トラック協会などと連携し、貨物列車を止める国労の作戦を封じ込めてスト権ストを潰しました。この挫折を機に国労は力を失い始めます。
そして、全国の国鉄の組合を束ねる国労を潰すために、中曽根さんは国鉄を7つに分割します。いわゆる「国鉄改革」です。それまでスト権がないにもかかわらず、国労はストを打ち続けていました。国鉄を分割することによって、国労を事実上解体する。これが国鉄改革のいちばんの狙いでした。
田中角栄さんが失墜する政局の中で中曽根さんが次第に力を持ち、国鉄改革を強行し、葛西さんなど「国鉄改革三人組」がそれを成し遂げていく。
その過程で、国労を解体するために、対抗する労働組合だった動労(国鉄動力車労働組合)の委員長で、「鬼の動労」と呼ばれた元革マル派副議長の松崎氏と葛西さんは手を組んだのです。
民営化されたことで、JRの新会社の労組は憲法で認められたスト権を持つことになる。ただし、分割されたことでJR東日本の労働組合のスト権、JR東海の労働組合のスト権、というようにスト権もバラバラになります。この各社のスト権をすべて掌握しようとしたのが、国労に取って代わろうとした動労の松崎氏だったのです。
葛西さん以外の「国鉄改革三人組」の井出正敬さん(後のJR西日本社長・会長)や松田昌士さん(後のJR東日本社長・会長)は「さすがに革マルと手を組むのはまずい」と反対したそうです。
後に葛西さんは松崎氏と対立することになりますが、国鉄改革では手を組んだ。こういった流れもあり、国労は衰退し、事実上、解体されていきました。