ウクライナに侵攻したロシア軍による民間人への残虐行為が問題になっています。無抵抗の市民の殺害や女性への性的暴行も多数、報告されています。ロシアによるウクライナ迫害・弾圧は今にはじまった話ではありません。その歴史を振り返ってみます。
(宇山 卓栄:著作家)
農奴にされたウクライナ人
ロシア帝国の時代から、ロシアはウクライナ人を隷属民として扱っていました。ウクライナは肥沃な穀倉地帯で、昔から小麦を豊富に産出していました。ロシア帝国はウクライナ人を農場で強制労働させます。ロシアには、「農奴」と呼ばれる奴隷的な農民階級があり、多くのウクライナ人が農奴に貶められて、搾取され、差別されたのです。
ウクライナ人はロシア人に監視され、行動を制限されていました。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ウクライナ人の民族運動が活発化しますが、ロシア帝国は出版や新聞の言論を厳しく統制し、反抗的な者には容赦がありませんでした。処刑するか、強制収容所に送るか、シベリアへ流刑にしました。
18世紀にロシア帝国の支配下で、ウクライナを「小ロシア」とする呼び方が定着します。「小ロシア」はウクライナをロシアの従属地域とする蔑称としての意味が込められているとされ、今日では使われません。
チャイコフスキーが1872年に作曲した交響曲第2番ハ短調は『小ロシア』という標題が付けられています。ウクライナ民謡がこの交響曲の中に取り入れられているため、今日でもこのように呼ばれていますが、芸術作品の名称なので、特に問題とはされていません。それでも、演奏会で、この交響曲を取り上げることは憚られるらしく、実際、今年9月、私が滞在したメキシコでの演奏会では、交響曲第1番ト短調『冬の日の幻想』(同じくチャイコフスキー作曲)に差し替えられました。