ウクライナとロシアとの攻防はドネツク州など東部戦線で激しくなっている(写真:AP/アフロ)

ウクライナ軍は東部の奪還に向けて、ロシア軍との戦闘を激化させています。ウクライナのゼレンスキー大統領は10月15日に公開した動画で「ロシア軍が誰を送り込もうと、東部でも南部でも敗北する」と述べています。ロシアと国境を接するウクライナ東部はロシア系住民が多く居住していることでも知られていますが、そもそも、この国境線はいつ、どのように画定されたのでしょうか。東部のロシア系住民の多い東部地域がロシア領ではなく、なぜ、ウクライナ領になっているのでしょうか。なぜ、民族や言語分布と国境線が一致していないのでしょうか。

(宇山 卓栄:著作家)

資源や工場の集積以外にも重要な意味

 1991年、ソ連崩壊とともに、ウクライナは独立しています。独立直後、ウクライナ東部のロシア系住民はウクライナからの分離独立を目指し、武装勢力を結成し、西部ウクライナ人との対立が表面化しました。

 ロシア系住民の多い東部はドネツク州を中心に、資源採掘地や重化学工場が集中しています。東部の分離を認めると、西部はそれらを全て、失ってしまいます。それでも、今日のような泥沼の戦争になるならば、独立時に最初から、東部をウクライナと切り離して、ロシア側の領土としていた方が、ウクライナにとって良かったのではないかと考えることもできるかもしれません。

 実は、ウクライナ人にとって、現在の国境線は資源や工場の集積地というだけではなく、重要な意味があります。