地域の資源を見つけ耕す作業だった「チーム座間」作り
篠原:例えば、住み替えが困難な高齢者が役所に相談に来た場合、市営住宅に空きがあれば紹介できますが、それ以上のことはできません。食費に困ったひとり親に対しても、役所にできることはほとんどありません。
しかし、外に目を向けると、民間のNPOが部屋の貸し渋りを受けやすい高齢者の住み替えを支援していたり、フードバンクや子ども食堂のような活動を展開していたりします。そういう地域で支援活動を手がける既存の団体を林課長が開拓し、ネットワークを築きました。
その結果、支援の輪が広がり、フードバンクが開設されたり、就労準備支援を手がける組織ができたり、ニーズがでてきたアウトリーチ型の支援などが提供できるようになりました。
繰り返しになりますが、生活困窮者の状況はそれぞれです。様々な知見を持った人が集まれば集まるほど、適切な対応を取れるようになります。地域の資源を掘り起こし、連携を取って支援に当たる。ここが、座間市の困窮者支援の肝だと思います。
──助けが必要な立場なのに、生活援護課の担当者が対応にあたると、ちょっとしたことですぐに機嫌を損ねて怒り出したり、約束を守らなかったり、感情的でわがままな相談者もいます。しかし、生活援護課の方が手厚く親切に対応していくと、次第に相手の態度が変わってくるエピソードが印象的でした。
篠原:滞納していた請求書を処理したことが成功体験となった人の話ですね。
それまで生活を含めすべて母親任せでいたがために、請求書の処理の仕方を知らずにいた。いざ母親が入院となると、公共料金や携帯電話料金などの請求書が来ても、どの支払いを優先すればいいのか判断がつかず、未払いの請求書をどんどんため込んでしまった。それを職員と一緒に一からやり始め、やり遂げたことが彼の自信となった。前向きな気持ちになって、就労意欲へとつながったケースです。
恐らく、この男性は子供のころから成功体験が少なく、自分で何か成し遂げたことがなかったのでしょう。母親に依存した生活を続けてきたために著しく生活力が低く、自分に自信がないから他人には悪ぶった態度を取っていた。それがふとしたきっかけで変わった。
もちろん、うまくいく話ばかりではなく、連絡が取れなくなってしまった人もたくさんいると聞いています。でも、一人でも自立の一歩を踏み出すことができたのであれば、法の趣旨を考えても意味のあることだと思います。
私も20代の時はイケイケで自分のことしか考えていませんでしたが、30代、40代と年を取り、困った人を社会として支える意味について考えるようになりました。
幸いにして私は健康ですが、いつ何があるかわかりません。財源との見合いもありますが、何かあった時に支えてもらえるという安心感は社会の安定という面からも重要だと思います。
──支援を受けている人の中には、軽度の知的障害、精神障害や精神疾患を抱えている人達が多いと書かれていました。