(立花 志音:在韓ライター)
デモで物事を解決しようとする韓国人の心理を探る。
「ごめんね。立花さん。来週の木曜日なんだけど、急用が入っちゃって。ランチの約束、延期してもらってもいい? せっかく誘ってもらったのに、ほんとにごめんね」
とある土曜日、同じ市内に住む日本人ママ友から連絡が入った。別に何の変哲のない日常会話である。
しかし、その当日の夜から翌日の朝にかけて、ネットニュースには「彼女の急用」だったと思われる出来事が報道されていた。
「あ、もしかしてこれだった?!」
日本語の記事を読みながら、ひょこっと立ったフラグを回収するために、次週は絶対に彼女と会おうと心に決めていた。
「旧統一教会信者、ソウルでデモ“宗教弾圧反対”」
これは「彼女の急用」、当日8月18日の夜、日本経済新聞の電子版に上がった記事の見出しである。
旧統一教会の合同結婚式によって韓国に嫁いだ日本人女性が、ソウルの日本大使館前で抗議集会を行ったという話だ。だが、記事を読み終わったところで、素朴な疑問が生まれた。
「このデモって、誰が考えたの・・・・・・?」
「日本大使館前でデモ」と聞いて一番初めに思い浮かぶのは、元慰安婦の支援団体が行っている「水曜集会」である。解決済みの慰安婦問題に対して、「謝罪しろ、賠償しろ」と一方的な主張を繰り返すパフォーマンスだ。
どう考えてもこれは日本人の発想ではない。そもそもデモなんかしてどうなるの?という疑問が生まれる。何か主張したいのならば、署名を集めて嘆願書でも出した方がいいのではないか。その嘆願書を渡す様子をライブ配信でもする方が、よっぽど効果的ではないだろうか。
彼女たちの信仰上の主義主張にどうこう言うつもりは全くないが、「デモ」という品のないやり方を取ることは、同じ日本人としてやめてほしい。
デモが行われた翌週、例のママ友とのランチの約束にこぎつけた。彼女は旧統一教会の信者なのである。3人のお子さんのうち2人は成人していて、割と優秀である。末っ子が、我が家の長男と同じ歳なので以前から交流が深い。在韓25年を超えるサバサバ系のベテラン主婦だ。
挨拶もそこそこに、筆者はこの一週間、温存していた疑問を彼女にぶつけてみた。