東日本大震災後、再稼働が決まった伊方原発3号機(写真:ZUMA Press/アフロ)

「あれ、こんなところでおじさんが働いてる……」

 近年、非正規労働の現場でしばしば「おじさん」を見かける。しかも、いわゆるホワイトカラーの会社員が、派遣やアルバイトをしているケースが目につくのだ。45歳定年制、ジョブ型雇用、そしてコロナ──。中高年男性を取り巻く雇用状況が厳しさを増す中、副業を始めるおじさんたちの、たくましくもどこか悲壮感の漂う姿をリポートする。

(若月 澪子:フリーライター)

上客は地元のパチンコ屋と原発

 8月下旬に日本国内の7基の原発の再稼働と、原発の新増設が発表された。政府は電力危機をはじめとしたエネルギー問題を理由に挙げているが、原発を抱える自治体などからは慎重論も出ており、永田町や霞が関とその周辺はかまびすしい。

 もっとも、実際に原発の側で暮らしている人は冷めている。今回、とある地方都市の原発で10年以上働いているNさん(61)は、淡々とした口調でこう語った。

「私の住む町は原発に依存しています。学校の同級生、親類、ご近所さんたちが直接雇用だけでなく、孫請けやひ孫請けまでいろんな形で原発から仕事をもらっている。みんな原発に対しては『本音と建前』があるような感じ。本音は別のところにあっても、利益をもたらしてくれるものを悪く言うことはできません」

 Nさんは原発で警備の仕事をしながら、別の副業もしている。原発と副業。意外な組み合わせと思うかもしれないが、Nさんが働く会社では、ほとんどの人が副業をしているという。

 もともとNさんは、地元の国立大学の教育学部で美術の教職課程を専攻し、卒業後は印刷会社でデザイナーとして働いてきた。

 Nさんの仕事は、地元企業のパンフレットやチラシ、広告などをデザインすること。中でも地元のパチンコ屋の仕事は単価が高く、羽振りのいい時期のNさんの年収は、地元の公務員並みの450万円くらいだった。

 しかし、上客のパチンコ屋が倒産し、Nさんが勤める印刷会社も赤字を抱えた。加えて、インターネットの普及で印刷の需要は激減する。リーマンショックの直後、Nさんの年収は200万円くらいまで落ち込んだ。ちょうどNさんの娘たちが大学進学を予定していたころだった。

 Nさんが知人に窮状を訴えたところ、生活の安定のために原発で働くように勧められた。原発はNさんの住む市街地から、およそ20キロ離れた場所にある。

「勤めていた印刷会社で発行していたフリーペーパーは、原発が大口のスポンサーでした。原発で働く人を取り上げる記事広告を何度も作ったことがあります。ただし、自分が原発で働くことになるとは思ってもいませんでした」

 Nさんは30年勤めたデザイナーの仕事を辞め、地元の原発の警備を請け負っている会社に転職した。Nさんが50歳になる直前のことだった。