再婚と破綻、そして再々婚へ

 菊の死後、一茶62歳の時、2人目の妻・雪(38歳)と再婚する。

 雪は一茶の大小便の後始末も厭わずよく働いた。だが、性交が大好きな一茶に毎日、しかも一日に何度もせがまれ2か月足らずで破局。

へちまづる切て支舞(しまえ)ば他人哉

 再婚の破綻直後、一茶はそのショックからか、翌月、中風が再発、重い言語障害に陥った。

 身体が不自由で、介護が必要な一茶に64歳の時、再再婚の話が持ち上がった。

「やを」という女性である。やをは32歳だが10代の少年との間に私生児を生んでいたワケありの女だったが、65歳を迎えた一茶はやをを妻に迎え再再婚を果たす。

 だが、3度目の結婚生活も1年3カ月しか続かなかった。

 俳諧の巡回指導から戻った一茶は急に気分が悪くなり横になると、その日の夕刻、急死。享年65歳。一茶は人間の一生を、こう詠っている。

盥(たらい)から盥へうつる ちんぷんかんぷん

(生まれたら産湯の盥、死んだら湯灌の盥。その間の人が生きるという意味とは何なのか、それが分からないうちに人生は終わる)

 並の人をはるかに上回る精力があった一茶が死んだ時、妻・やをは一茶の子を身籠っていた。

 同年、やをは一茶の次女を出産、一茶の没後、3番目の妻は幸せで安寧な日々を送り、74歳まで生きたという。

 一茶の死後、その俳人としての名声は落ちることはなかった。

 明治時代になると「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」で知られる正岡子規らに賞賛され、松尾芭蕉、与謝蕪村とともに、小林一茶は江戸時代を代表する俳人として、いまも人々に親しまれている。

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