13年の骨肉の争い
39歳の時、父が亡くなると遺産相続を巡り、継母・はつと異母兄弟・仙六と対立し、足かけ13年もの間、骨肉の争いを続けることになる。
一茶が15歳で故郷、柏原から江戸に奉公に出た後、父・弥五兵衛、継母・はつと腹違いの弟・仙六は昼夜を徹して懸命に働き、小林家は一茶が故郷を離れた時よりも大幅に財産を増やし、有力な農民となっていた。
継母・はつと仙六は自分たちが小林家の財産は増やしたとの自負があった。
農作業中に突然、倒れた父・弥五兵衛は、病状が次第に重くなるにつれて死期が近いと感じた。
弥五兵衛は一茶と仙六を呼び、財産を2人で均等に二分するよう言い渡した。仙六にしてみれば、長年、故郷を離れていた一茶と二分せよと言われても納得できなかった。
だが、家族や故郷を捨て、諸国を放浪しながら俳諧一本で生活しなければならなかった一茶とって、父の遺産を相続することは、重大かつ切実な死活問題だった。
一茶、待望の結婚を果たす
俳諧で諸国を旅するほど健脚だったが、40代になると体に老いが忍び寄ってきた。40代後半でほとんどの歯を失い、49歳にしてすべての歯を失った。
51歳の時、継母との遺産相続問題は一茶が屋敷半分をもらうことで解決し、晴れて故郷・柏原に定住する。
梟(ふくろう)よ面癖(つらぐせ)直せ春の雨
この句は、今までの孤独で貧乏で遺産を争っていた悪い面構えを直して、これからは清々しく暮らそうという決意の風情である。
俳諧師としても一茶は全国的にその名が知られるようになり、多くの門人を抱えて俳諧師匠となった。
生活の安定を得ると、待望の初めての妻・お菊を迎えた。一茶52歳。お菊は28歳。
わが菊や形(なり)にもふりにもかまはずに
お菊は近所付き合いもきちんとこなし、田畑を耕そうとしない一茶に代わって農作業に精を出し、一茶と犬猿の仲で確執があった継母のところにも農繁期は手伝いに出ている。