妻の死因については、一茶に梅毒をうつされ、農作業と育児の過労に加えて、一茶の猛烈な性行為の繰り返しにより、衰弱して病気になり死亡したといわれている。
また、4人の子供の死因もまた、一茶から感染した菊の悪性の性病が、子供たちにも次々と母子感染したため、虚弱となり生後まもなく死んだとされる。
一茶は先述のとおり、若い時から娼婦を買っていた。
門人に送った手紙には「吉田町二十四文でもなめたかと」とある。吉田町は夜鷹の巣窟であり、夜鷹とちぎった男たちは、例外なく梅毒をうつされたという。
妻を失った後、一茶は、
小言いふ相手もあらばけふの月
と、文句を言う相手が居なくなった寂しさを嘆いている。還暦を迎えた一茶は、
春立や愚の上に又愚に帰る
と、自らの愚かな生き様を顧みて、さらに愚かになっていく自分の様子を詠っている。