農家の子が奉公に出されることは珍しいことではなかった。だが、一茶のような中クラスの自作農の長男が江戸に奉公に出ることは異例なことだった。

 江戸へ出てから10年間、一茶のはっきりとした足取りはつかめていない。だが生活苦にあえいでいたことは確かなようだ。

 椋鳥(むくどり)とは田舎者をからかう言葉である。

 椋の実をついばる椋鳥は秋に南下する。越後や信濃から江戸へ出てきた出稼ぎの田舎者を江戸の庶民は椋鳥に喩えた。一茶は自分が揶揄されたことを、

椋鳥と人に呼ばるる寒さかな

 と、その心境を句にしている。また、

梅が香やどなたが来ても欠茶碗

 と、自身の困窮した生活を描写し、東北地方や西国に俳諧行脚の旅に出た際には、「夕燕我には翌(あす)のあてはなき」など先の見えない不安を投影する句も残している。

一茶が愛した女性たち

 江戸へ出てしばらくすると、現在の横須賀市浦賀を旅した時に知り合ったナツという既婚女性に、一茶は熱い想いを燃やしていた。

 ナツは同世代だったが若くして亡くなった。一茶はナツの25回忌にわざわざ信濃から墓参に訪れるなど、心に深く残った女性だった。

 また、結婚する前の44歳の時、花嬌という女性を愛している。花嬌は名主の娘で人妻だったが、心に秘めた一茶の恋人で、その面影が忘れられない様子を、

近寄れば祟るぞ榎ぞゆう凉み

 と詠っている。一茶が女性たちを詠った句はかなりあるが、卑猥な句も作っている。

立田姫尿かけたまふ紅葉哉

 これは立って尿をしている女性をあらわしている。江戸時代以前の庶民の女性が立ち小便をするのは珍しいことではなかった。