方励之はなぜ筆者に怒ったのか
当時の取材で唯一違和感が残ったのは、天体物理学者の方励之(ほうれいし)だった。
彼は中国政府から学生運動の主要な「黒幕」とみなされ、一年近く北京のアメリカ大使館に夫妻で避難した後、キッシンジャー米国務長官と鄧小平との外交交渉の末に、アメリカへ出国したばかりだった。
その彼が、私が日本から来たと知った途端、急に不機嫌になり、「日本はけしからん! 経済制裁をいち早く解除して、中国を援助した。日本は人権を無視している。不愉快極まりない!」と、罵った。「あなたは北京で『懺悔書(ざんげしょ)』(学生を煽ったことを反省する文書)を書いたのですか?」と質問したことも、火に油を注ぐ格好になったのかもしれないが、とにかく私には不可解な印象が残った。
不可解な理由が判明したのは、約10年後の2012年4月だった。亡命後、方励之はアリゾナ州立大学の終身教授に就任していたが、大学の講義から帰宅した直後に心臓発作で亡くなった。突然の訃報は全米を駆け巡り、各種メディアが報じた。その中で、2011年に月刊誌「ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス」に掲載されたインタビュー記事があり、方励之自身がアメリカ大使館に籠城していた時期を回想して語った言葉が残されていた。