中国当局から天安門事件の首謀者の一人とされた方励之。米国に渡ったのちにアリゾナ大学の教授になった。2012年4月に死去(写真:The Arizona Daily Star/AP/アフロ)

 中国の北京で民主化を求める学生らを人民解放軍が武力で鎮圧した天安門事件から、33年が過ぎた。今も中国では事件のことを大っぴらに語ることを許されず、厳しい検閲によってネットでの検索もできない。今年の6月4日も天安門広場に厳しい監視体制が敷かれ、人々の入場を阻んだ。

 香港では、2020年に中国政府が「香港国家安全基本法」を制定した後、毎年ビクトリア公園で行ってきた追悼集会が禁じられた。香港カトリック教会も恒例の追悼ミサを取りやめた。中国外務省の汪文斌副報道局長は3日の定例会見で、当時の運動は「政治的騒動」だとする評価に変化がないことを強調した。

「人間は忘れっぽいので、せいぜい100年前までのことしか伝わらない」と、歴史学の観点から云われる。100年過ぎれば当事者が亡くなり、実体験が伝わらないので、人々の印象が薄れてしまうからだ。すると天安門事件の記憶も、あと67年で消え去ってしまうということだろうか。

「天安門事件があったなんて嘘だ」

 中国の若者は、総じて天安門事件を知らない。知っている人も、「政治的暴乱」だと思っている。中国政府が歴史の検証をせず、学校教育でも触れることを許さないからだ。

1989年5月28日の北京・天安門広場の様子。民主化を求める学生たちが大勢押し寄せたが、6月4日になると人民解放軍が武力鎮圧に乗り出した(写真:HIRES CHIP/GAMMA/アフロ)

 天安門事件当時、海外へ亡命した元学生リーダーの封従徳(ふうじゅうとく)は、現在でもアメリカ各地の大学から呼ばれて講演しているが、中国人留学生から、「あなた方はなぜ政治的騒乱を起こしたのか? なぜ人民解放軍兵士を殺したのか?」と、決まって質問されると嘆いた。中国人高校生に至っては、「天安門事件があったなんて、そんなの嘘だ! アメリカの陰謀だ!」と、かたくなに言い張ったという。

 今後は天安門事件を知らない世代がますます増えていくことだろう。