約100年前に日本が救出したポーランド・シベリア孤児の縁

 旧知の宮島昭夫・駐ポーランド大使にも体験してもらった。ロンドン五輪、東京都外務長時代にパラリンピックを担当し、車イス利用者のサポート体験をしただけに、どういう時に車イスを押すのが大変か熟知していた。大使は「これは日本らしい貢献になる。ウクライナだけでなく、支援疲れが見えるポーランドも支えていく必要がある」と強調した。

 宮島大使から紹介されたワルシャワの日本語学校経営、坂本龍太朗氏がイェジ・ストゥシャウコフスキ記念特別養護学校を訪問できるよう手配してくれた。5~24歳の知的・身体障害を持つ170人に交じってウクライナから逃れてきた4人が学んでいる。車イスを利用するサーシャ君(16)は先週から毎日、送り迎えの車で30キロメートルの距離を通ってくる。

サーシャ君(中央)と記念撮影する筆者(右)と妻の史子(左、筆者撮影)

  サーシャ君とポーランドの生徒計5人にJINRIKI QUICKを使って校舎の外を散策してもらった。みんな大はしゃぎだった。親日家で相撲への造詣も深いクシシトフ・ラドコフスキ校長はうれしそうに「これまで1.5キロメートルの森の中を通る遠足には、車イスの生徒たちを連れていけなかった。これで全校生徒の遠足が可能になる」と目を輝かせた。

散策を終え、大喜びのサーシャ君やポーランド人の生徒(筆者撮影)

 1920年代初頭、多くのポーランド人がシベリアに送られ暮らしていた。ポーランド・ソビエト戦争が始まり、孤児たちのポーランド帰国は難しくなった。シベリアにいた日本軍と日本赤十字が孤児計765人をウラジオストクから救い出した。日本滞在後、孤児たちはアメリカやシンガポール、インド洋、地中海、英国経由でポーランドに戻った。

 校名のイェジ・ストゥシャウコフスキはその中の1人だ。ポーランドに親日家が多いのはポーランド・シベリア孤児を救出した日本の歴史的な貢献が大きな要因になっていると言われる。イェジ・ストゥシャウコフスキ記念特別養護学校を通じてJINRIKI QUICKの支援が広がれば、日本とポーランドの新しい架け橋になる。