ソビエト時代の英雄や殉教者の中には架空の人物がいるのではないかと疑ってかかる人への怒りを露わにする。

 さらに、西側はソ連の政治体制に異議を唱える作家にノーベル賞を授与し、改革志向の政府職員を学術交流で招き、1980年代後半には市民団体や自由出版物を支援することによって、数十年にわたってソビエト連邦を蝕もうとした、と批判する。

 映画の悪役には、スターリンの後を継いだニキータ・フルシチョフが含まれ、スターリンの個人崇拝に対するフルシチョフの批判を「90%嘘」と呼ぶ。

 ソ連最後のリーダーとなったミハイル・ゴルバチョフ氏については、映画が言うには米国をしのいでいたソ連の計画経済を破壊した資本主義政策を非難している。

 映画はこの後、観客である政府職員らを慄然とさせるために描かれたソビエト崩壊後の混乱のシーンを紹介する。

 共産主義者の記念碑が倒されたり、圧政を続けていた人物が群衆に襲われたりする映像だ。

 そしてプーチンの時代がやってくる。

 陽光まぶしい赤の広場に誇り高き退役軍人たちが集まり、その前を兵士たちがひざを曲げずに脚を高く上げて行進していく様子が、ロシアの国歌の調べをバックに映し出される。

 そして愛国的な新しい歴史書の編纂を要請した人物として、プーチン氏が称賛される。

プーチン支持者にも異様に映る描写

 映画は露骨なほど奇妙だ。戦争での勝利の祝賀や西側の侵入に対する強い恐怖感など、プーチン時代のロシアの妄想がいくつか反映されている。

 だが、農業の集団化や計画経済を擁護する場面は、プーチン体制の忠実な支持者でさえ異様だと思うだろう。彼らが信奉するのはマルクス主義ではなく、縁故資本主義だからだ。

 また、クレムリンのプロパガンダ(宣伝工作)部門でさえ、スターリンの個人崇拝を貶めたり遠い昔の英雄たちは本当に存在したのだと主張したりすることにエネルギーを割かない。

 これらを選択した基準は、ロシア的というよりは中国的だ。