『鬼滅の刃』21巻(部分)

(乃至 政彦:歴史家)

 鋭い視点と丁寧な考察で話題を呼んだJBpressでの連載をまとめた書籍『謙信越山』。著者の歴史家、乃至政彦氏が大人気漫画『鬼滅の刃』を読み解くシリーズ第4弾は、「鬼舞辻無惨の千年史」として、鬼舞辻無惨が名付けたという十二鬼月の名前から、彼らの真相に迫ってみたい。(JBpress)

※記事中『鬼滅の刃』のネタバレを含みます。閲覧にはご注意ください。

鬼舞辻無惨に歴史あり

 鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)がいくら1000年以上生きていたとしても、その思考法は、人間のそれと根本的に同じであろう。同じ知的生命体でも、ミ=ゴやバルタン星人やキュゥべえより、遥かに人間的である。それもそのはず、『鬼滅の刃』世界の鬼たちはすべて元・人間だからである。

 例えば、無惨が「千年以上生きていると喰い物が旨いという感覚も無くなってくるが飢えていた/今の食事は実に美味だった」と述べるところがあるが(第180話)、このセリフは人間味に満ちている。それは無惨が人間たちと同じ文化と時代にあり、しかもその延長上にある存在だという認識を、語り手(無惨)と聞き手(鬼殺隊)が共有していることを前提に、主観的心情を伝えようとしているからである。先述の異星人たちならどれもあり得ないことだ。

 鬼舞辻無惨に歴史あり──。長期的に変化存続するありとあらゆるものに歴史がある。歴史は人類以外にも存在する。建築物、病気、地理の歴史。百姓どころか豚にだって歴史がある。野猪が飼育に適応するようになると、敵を狩る牙も身を守る毛皮も必要なくなり、歯と骨が小型化して、家畜の豚に変態していった。この経緯を歴史というのだ。

 ならば、単体で1000年以上、知的生命体として意識を持ち続けた鬼舞辻無惨という存在にも、当然のごとく歴史がある。無惨は「私が嫌いなものは“変化”だ」「あらゆる変化は殆どの場合“劣化”だ/衰えなのだ」(第98話)というが、歴史とは変化の変遷である。無惨も初めから我々の知る無惨であったわけではない。無数の変化があって、鬼滅作中の無惨として完成したわけである。

 そこでこれから何回かに分けて、無惨の千年史を追跡してみたい。

 なお本稿は、『鬼滅の刃』単行本全巻を読み終えた人向けに書いているので、未読の方はネタバレも多数あることをご留意願いたい。

無惨のネーミングセンス

 無惨の思考の変化を見るにあたり、わたしが注目したいのは、鬼たちの名前である。人間のセンスや好みには、時期によって変化がある。無惨も同じだろう。

 市販の歴史人物事典などには、有名人の好きな食べ物を書いていることもあるが、それを一個のデータとして受け止めるのには迷いがある。なぜなら、幼児のころ、青少年のころ、壮年のころ、老人のころで、趣味嗜好は変化するはずだからだ。同い年の小学生が恋愛対象だと言う児童がいたとして、それが30過ぎても相変わらず小学生に胸がときめくなどということは滅多にない。だが、「小さい時はショートケーキが好きだったけど、いまは最中が好きでね」というように、具体的な好物が変わっても甘党であることはそのままということもある。

 これと同じで無惨のセンスを追跡すれば、変わっていくところと変わらないところを浮かび上がることができるかもしれない。本稿ではそのサンプルとして、無惨が作った鬼たちの名前を見ていこう。