十二鬼月の誕生

 さて、その十二鬼月だが、それぞれのネーミングを眺めていくと、無惨の置かれた環境や心境をある程度推量することができそうに思われる。

 ここて上弦の鬼を見ていこう。

 まず、上弦の壱・黒死牟(こくしぼう)は、戦国時代に人間だった継国巌勝が生き延びるため鬼にされたものである。

 鬼になったのは時代風俗の描写から想像して、戦国末期の頃と思われる。鯱鉾のある天守閣で無惨が黒死牟の前身である巌勝を「呼吸とやらを使える剣士を鬼にしてみたい」と勧誘している(第178話)。天守閣が建造されたのは、織豊期とも言われる時代で、16世紀末頃のことである。

 黒死牟こそ最初の十二鬼月メンバーだが、実のところ無惨がこうした精鋭を作ろうと考えたのは、後述するように江戸時代の中期からである。なのに黒死牟の眼には、それより100年ほど前の戦国時代であるのに、早くも「上弦」「壱」の文字が刻まれている。ともすると黒死牟の「上弦」と「壱」の刻字はランクではなく、何か別の意味があったのではないか。例えば「月の呼吸の壱を極めた」などの別の意味があり、そこから約100年以上経って、その眼に着想を得た無惨が十二鬼月をプランしたのかもしれない。

 ついで上弦の弐・童磨(どうま)は、猗窩座よりあとから鬼になった新参者とされている。童磨は猗窩座を抜いて上弦の弐へとのし上がった。作中では113年前に上弦の鬼が鬼狩りに殺された頃、まだ上弦の陸であった。そこで空位を埋めるため、昇進を名乗り出た可能性が考えられる。なお、童磨はその最期に「二十歳の時に鬼にして貰って」「百年以上生きた」と回顧しているので、18世紀末から19世紀初期までの生まれだろう(第163話)。

 そして上弦の参・猗窩座(あかざ)は、作中の描写および「百年以上の時を鍛錬と戦闘に費やした」と公式ファンブックに書かれてあるため、鬼になったのが100年以上前であることは確実である。もし200年以上前からならそのように明記するはずなので、それほど昔のことではないと判断できる。

 すると猗窩座は江戸時代中期(おそらく18世紀中期頃)頃に鬼となったのだろう。無惨は、猗窩座を鬼にする際に「十二体程強い鬼を造ろうと思っているんだ」と、十二鬼月の創設構想を述べている(第155話)。やがて猗窩座は上弦の参となるが、そのあと童磨が上弦の弐に昇進しているので、彼ら以前に作中には登場しない上弦の弐がいて、猗窩座より先に十二鬼月となっていたようである。ちなみに猗窩座は、1度だけ黒死牟に血戦を挑んで敗北した経歴を持つ(公式ファンブック2)。

 上弦の肆・半天狗(はんてんぐ)は、作中で「百十三年振り」に上弦の会合へ呼ばれているので、彼も江戸時代に、鬼となったことが確実である(第98話)。半天狗を勧誘する時の無惨の衣装が、猗窩座を勧誘した時と同じ(第126話、第155話)と見る指摘がネットにある(https://www.pixiv.net/artworks/79296062)。すると半天狗は、猗窩座とほぼ同時期に鬼化したのだろう。

 上弦の伍・玉壺(ぎょっこ)も上弦の会合で半天狗たちとの再会を喜んでおり、その親しげな様子と後の連携ぶりから彼らと同世代に思われる。

 上弦の陸・妓夫太郎(ぎゅうたろう)と堕姫(だき)は、「茶屋のお婆さん」に「子供の頃と中年の時に」目撃されたという描写がある(第74話)。半世紀ほど前のことだろう。すると、江戸時代後期(19世紀中期)までに鬼となったと考えられる。ちなみに妓夫太郎は人間時代そのままの名前である。

 ここで上弦の鬼が人間から鬼になった時期を推定しておこう。1番に黒死牟、2番に猗窩座、3番と4番に半天狗または玉壺、5番に童磨、そして6番に妓夫太郎と堕姫あたりと見るのが適切である。

 ──以上、鬼舞辻無惨の精鋭部隊である「十二鬼月」の「上弦の鬼」たちの命名がどういう順番だったかまでを整理してみた。次回は、ここから検証の範囲を広げ、より深く掘り下げることで、その無惨のセンスと精神そのものに迫ってみたい。

【乃至政彦】歴史家。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。著書に『謙信越山』(JBpress)『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)、『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった』(河出書房新社)など。書籍監修や講演でも活動中。昨年10月より新シリーズ『謙信と信長』や、戦国時代の文献や軍記をどのように読み解いているかを動画で紹介するコンテンツ企画『歴史ノ部屋』を始めた。

【歴史の部屋】
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