(城郭・戦国史研究家:西股 総生)
鎌倉幕府成立を語る上で欠かせない人物
『鎌倉殿の13人』の第1回、ご覧になりましたか?
昨年、当サイトで「鎌倉殿への道」を連載させていただいた私(西股総生)は、このドラマに中世軍事考証という立場で関わらせていただいております。主に、戦いや武器についてのアドバイザーですね。そこで、せっかくのご縁ですので、当サイトでも皆さんのドラマ鑑賞をサポートできるような解説を、連載してみたいと思います。
まずは、登場人物。ドラマの第1回は、北条時政の屋敷でにぎやかに繰りひろげられる宴会が中心でした。近隣の武士たちが大勢集まり、屋敷の隅では逃げてきた頼朝をめぐって、若者たちが一騒動。彼らの間には、何やら複雑な人間関係やら利害関係が、あるようです。
今回の登場人物たちのうち、源頼朝・北条時政・義時・政子あたりは、皆さんもご存じと思います。では、他の人たちは? 実は、今回登場していたのは皆、鎌倉幕府の成立を語る上で欠かせない人物たちなのです。そこで、彼らの中から、頭の隅に入れておいてほしい脇役を何人かピックアップして、ネタバレにならないように紹介しておきましょう。
1.安達盛長(野添義弘)
呼び名は藤九郎(とうくろう)、ドラマのタイトルにある「13人」の一人。流人だった頼朝のほとんど唯一の家人だった人です。頼朝はもともと源家嫡流の家に生まれたので、家人は大勢いました。でも、平治の乱で伊豆に流されて、官位も財産もすべて没収ですから、家人たちは逃げ散ってしまったり、暇を出してしまったり。唯一、残ったのが安達盛長だったのです。
この人、出自はよくわかりません。武勇にまつわるエピソードもまったく伝わっていないので、勇ましい人ではなかったようです。おそらく源家の家人の中でもいちばん下っ端だったのでしょう。
ただ、頼朝の身の回りの世話をこまめに焼いていたので、ある意味、頼朝をもっともよく理解する人でした。信頼されて、のちに幕府の大幹部となります。
2.三浦義澄(佐藤B作)
山本耕史演じる三浦義村のパパで、「13人」の一人です。
三浦一族は、その名の通り三浦半島を地盤とする相模の有力武士団。義澄はその一族の惣領、つまり束ね役です。三浦氏は、もともとは頼朝の父である義朝に仕えていました。でも源家嫡流が没落してしまったので、今は平家全盛の世の中で、少し肩身の狭い立場にあります。義澄率いる三浦一族は、挙兵直後から頼朝に従ったので、苦労の甲斐あって幕府で重きを成すことになります。